窮鳥

 懐が寒くて、ザックはふと目を覚ました。荒れ果てた大地を潤す雨は少なく、季節に乏しいファルガイアではあるが、気温の変動がまったく無いわけでもない。今は乾いて冷たい風が吹き付ける時期だから、寒いのは当然ではあるけれども、今まではそれで眠りから起こされるということもなかった。
 なぜ目が覚めたかだなんて理由は明白で、あまりのわかりやすさに自分自身あきれ返る。人が意思を持って生きている以上、どれほど親密であっても道が分かたれることなんてよくある話で…もちろんこれから先永遠に交わらないということもまさか無いだろうが、少なくともそれは今、このときではない。
 先ほどまでまどろんでいた夢の温もりはすでになく、ザックは無駄な努力を諦めて不承不承、身を起こした。ゆらゆらと踊る橙の炎の向こうで静かに瞬く紅玉の瞳に、思わず口元が緩んだ。
「…ザックも、おきちゃったんだ」
「あー、まぁな」
 もう一度寝ろと咎められるかと思ったが、ロディは何も言わなかった。荒野での野宿は当然危険が多く、いくら熟練の渡り鳥とはいえ、寝込みを魔物に襲われたらひとたまりもない。そのため、交代で火の番をし、周囲を警戒するのはザックたちにとってひどく当たり前のことだった。自分の番ではないときはしっかりと眠っておくのが鉄則なのだが…ザックもいまさら寝る気はないし、ロディにもその理由がわかっているのだろう。
「…ちょっと待て。『も』ってなんだ『も』って」
「あ、いや、別に寝てたわけじゃないよ? ただ…俺も、ザックが見張りしてるときってあんまり寝れなくって」
「そっか」
 グローブに包まれたロディの手が、ぱきりと小枝を折って炎の中に投げ込む。とたんに巻き起こった金色の火の粉が今はここにいない少女を思い出させ、ふっと表情が緩む。ちらりと炎の向こうを見ると、ロディも同じように眦を下げていて、多分同じことを想っているんだろうな、と思った。
 居る時はそれが当たり前で気づかなかったぬくもり。
「…やっぱり、一人は寒いから」
「………そうだな」
 ぽつりと呟かれた言葉に、短く同意する。
 そこに至るまで何の障害も無かったわけではなく、むしろトラブル続きだったといえるだろう。ロディは常におとなしく一歩輪の中から引くような姿勢だったし、セシリアといえば世間のことなど何もわかっていない、正真正銘の「お姫様」だった。渡り鳥ならば知っていて当然のことを何一つ知らず、うんざりしたことだって数知れずある。
 けれど、少しずつ互いを知り、距離は縮まっていった。最初は一人かたくなに、少し離れた場所で眠っていたセシリアも、最後には眠っているどちらかに寄り添うようにして眠るようになった。もちろんそれは単純に寒さ対策というところもあるかもしれないが、それにしたって信頼の証といえないこともない。むしろ無防備なほどの全幅の信頼に、ロディは慣れるまでずいぶんとうろたえていたほどだ。ザックにしたところで、あんまりにもセシリアが深く眠っているから、ロディと見張りを交代するときに起こさないよう、苦労したものだ。
「姫さんは体温高かったしなぁ」
「…人を湯たんぽみたいに言うのもどうかと思うけど…」
 子猫のように、胸元に頬を摺り寄せて。眠りの海にたゆたう横顔は酷くあどけなく、遥かな高みを見続ける横顔とはずいぶんと違って見えた。近くで感じる体つきは、離れたときよりも華奢に感じて、よくこれで旅についてこれたものだと感心したこともある。
 恋愛感情ではない。けれども、寄せられた信頼とその温もりはひどく心地よくて、力ばかりを追い求めていた自分を確かに「ひと」に引き戻してくれた。護っているつもりで、確かに助けられていたのだ、自分は。
「…ま、少しずつ慣れるしかないな、こればっかりは」
「うん」
 切なそうに双眸を細めて、炎を見つめるロディの様子に、苦笑が浮かぶ。ロディと自分とではセシリアに対する感情は違うから、きっとロディにとってはあの温もりは手放せないものなのかもしれないと思う。自分にとっても大事で、懐かしいけれど……ずっと一緒にいられるわけではないから。
「お前はもう寝ろ。ちょっとばかり早いけど交代するよ」
「…ありがとう…」
 もぞもぞと毛布に包まったロディが地面に横たわるのを確認して、ザックは再び視線を目の前の焚き火に移した。ちらりと跳ねる鮮やかな光に、少女の笑顔がちらつく。
 今度アーデルハイドに戻ったら、何を話そうか。ロディがセシリアのことを思い出していた、なんて耳打ちすれば、首筋まで真っ赤になって照れるかもしれない。その後、「なんてこと言うんですかぁッ!」と怒ったふりをするのだろうか。
 日常の続きのように予測できる未来にくすりと笑みを零して、ザックは枯れ木の束を引き寄せた。火を絶やさないよう、枝を少しずつ炎の中に投じる。僅かに開いた唇から、大事な弟分と大切な妹分とが幸せになるよう、願いの言葉が零れ落ちた。

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