掘り返された土の匂いが胸の奥まで染み込んでくるような気がして、グラントは空を仰いだ。春を迎え、日ごとに長くなる陽の光は、大分傾いて朱色を帯びてきている。葬儀が終わる頃には、あたりは夕闇に包まれるに違いない。
「哀れな人の子が、女神のもと永遠なる安らぎを得られますよう……」
静かに聖句を唱える声が、真新しい白木の棺を迎え入れる。黒々とした土に穿たれた穴の底に棺が納められ、その上から穢れない白百合が撒かれる。取り囲む人々の間から、自然とすすり泣く声が上がる。
人の輪から少し外れたところで、グラントは見守るように立っていた。
「君は……あの子の死に顔を、もう見たかね?」
「……一応は」
グラントの問いに、傍らに立つ少年が言葉少なに応じる。声に僅かな困惑と警戒が混じっているのは、少年とグラントの間に直接の面識が無いことを考えれば、当然のことといえた。加えて質問の意図が曖昧で、その真意を測りかねているのだろう。
少年の年の頃は十五、六ぐらいだろうか。成人というにはやや及ばない年齢のように見えた。実用一点張りの頑丈な外套の裾から覗く肌は浅黒く、異民族であることが容易く察せられる。
クリスは決して詳しくは明かしてくれなかったが、恋人については微かに頬を染めながら、先の戦で知り合ったのだと教えてくれたことがある。また、同じ苦しみを抱える同志なのだとも。
少年の年齢を考えれば、誰かの遣いとしてここに来た、と考えるのが普通だろう。五行の紋章戦争と呼ばれる、グラスランドとの争いに端を発したハルモニアとの戦は、もう四年も前の話になる。その頃少年は十を僅かに過ぎたばかり、戦で知り合ったと考えるにはいささか年若い。
だが、彼の緑柱石の双眸に浮かぶ光はつよく誇り高く、誰かに頭を下げ遣われるような性質ではないことを如実に表していた。むしろ、クリスと同じ……戦いともなれば兵を率い、先頭に立ち士気を鼓舞するような、そんな眼差しだ。
もちろん、何の根拠も無い。ただの、グラントの直感だ。だが今までグラントはこの類の勘をはずしたことはなかった。騎士団寄りと目されながらも評議会で生き残ってこれたのは、このおかげもある。
だからきっと、彼こそが、その本人なのだろう。
「……綺麗だったろう?」
「……?」
「あの子の、最期の姿だよ。君も見たのだろう? 死んでいるとは思えないほどだったと思わなかったかね? ……そう、まるで人形のようだ、と」
さりげなく付け加えた言葉に反応して、少年の気配が微かに変わった。周囲に気取られるほどあからさまではないが、それでもグラントの動きをひどく警戒しているのは確かだ。グラントが怪しげな素振りを見せれば……否、余計な事を一言でも漏らせば、すぐさま刃を向け、躊躇わず振るに違いない。
それを神経質だ、器が小さいなどと非難することは、グラントにはできない。彼らにとっては、今後の人生を賭けた大博打の真っ最中なのだ。些細なミスが文字通り命取りとなる状況とあれば、過敏に見える反応も当然だろう。
そもそも、彼がここに現れたこと自体が、グラントには半ば予想外だったのだ。
望むと望まざるとに限らず、グラントの行動には絶えず「評議会議員」の肩書きがついてまわる。「誉れ高き六騎士」と同じく、完全な私人となることは難しい立場だ。その自分が、話があると彼を呼び出すとなると、何かの罠かと警戒されるのも自然な成り行きだし、いっそここで後顧の憂いを断ったほうが、と考えられてもおかしくはない。
しかも、仲介してくれたロランは、グラントとクリスの間柄を自ら喋って心象をよくしてくれるような、そんなお節介をしてくれるような男ではない。それ以前に、ロランが気配りしようとしてもできなかっただろうことは容易に想像がつく。
「クリスの死は騎士団による偽装」説がうやむやのうちに消されたとはいえ、信じたいものを信じるのが人の常である以上、芽吹いてしまった疑惑の種はそうそう簡単に消え去るものではない。ロラン自身に監視の目がつけられている可能性もある以上、迂闊なことは一言たりとてもらせないだろう。そのあたり、彼は純粋なゼクセン人ではないためか、他の騎士たちよりも用心深い。
さて、どこから踏み込むべきか。乾いた唇を湿らせて、慎重に言葉を選ぶ。
「……君は、レオン・シルバーバーグという男を知っているかね?」
「『シルバーバーグ』?」
訝しげに眉をひそめた少年に、そう、とグラントは短く頷いた。
「まあ、私も噂話ばかりで本人に会ったことはないのだがね。およそ『軍師』なんてものは常識で計れない人物が多いが、その中でも異端だとかなんだと言われているな。勝つためには味方を欺くなど日常茶飯事で、時には当人そっくりの人形を用意し、敵を撹乱したとか……どこまで本当だか怪しいものだが」
いまだ警戒を解かない少年から視線をはずし、グラントはぼんやりと墓地の方を見やった。白木の棺と白百合との上から、少しずつ土がかぶせられ、覆い隠してゆく。残酷なほどくっきりと瞼の裏に黒と白のコントラストが灼きつけられ、再び静かに視線を逸らした。
「……あの娘は、私の親友の忘れ形見でね。だから尚更やりきれないのだよ。あれが実は見た目通り人形で、本当はあの娘が生きているのだとしたらどれほど良いか……ありえない空想にすがりつきたくなるほどにね」
女神の慈悲を請う聖句とともに、土がざらざらとかけられる。ゼクセンの法では墓荒らしは死者と女神とを冒涜する行為として、ほぼ例外なく死罪となっている。クリス自身が姿を現し、葬儀の無効を訴えださない限り、評議会も掘り返し探るようなことはできないだろう。だからこそ、騎士団も葬儀を急いだのかもしれない。
そうして少しずつ朽ちてゆき、土に還り、同化してゆくように。いつしか人々の記憶からも『白き乙女』の名と容姿と残した行いは薄れてゆくのだろう。もしかしたら昔々で始まる御伽噺に名残をとどめるかもしれないけれど。
「……だがまあ、すべては年寄りの戯言だな。君が気にするようなことは何もない。……だって、そうだろう?」
平らに均された土の上で、最後の祈りが捧げられる。埋葬が終わり、三々五々帰途につく人々の姿を見送って、グラントは少年に視線を戻した。真剣な表情のまま、おどけるようにひょいと肩をすくめてみせる。
「私も。……それからクリスも君も、シルバーバーグの係累に伝手など無いのだからね。そもそも為し得ようがない……だからこそ、無責任に『そうであったら』などと思えるのかもしれないが」
「……そう、ですね……」
グラントの口調につられたのか、少年もぎこちない笑みを浮かべて小さく呟いた。僅かばかり緊張をといたその表情には、外見どおりのあどけなさと外見以上の落ち着きとが不思議に宿っているように見えた。なんとなく、それこそが彼の本来の姿なのだろうと思う。
名残惜しいのだろう、クリスの墓の周りに留まる人の姿も見受けられたが、それも櫛で削るように少しずつ減っていくのが見えた。あまり長居をしすぎると目立ってしまう。そろそろ本来の目的を果たして立ち去るのが、お互いのためだろう。
少年にいらぬ警戒心を抱かせぬよう、グラントは手に提げていた紙袋からゆっくりと箱を取り出した。
「年寄りの長話に付き合わせて悪かったね。実は今日君を呼んだのは、これを渡そうと思ってだったのだが」
「これは……?」
小箱と呼ぶにはやや大きいサイズの箱を受け取りながら、少年は不審そうに小首をかしげた。白地に緑の香草らしきものを描いただけの外観から、箱の中身をうかがい知ることはできない。
「うむ。実はここへ来る途中、薬局に寄って髪染めを買ったのだが、少しばかり買いすぎてしまったようでね」
「はあ……」
「何しろ白髪は目立っていけない。染めるべきだ。君の知人にもそう勧めてやってほしいのだよ」
詳しくは語らない。語れない。けれども、何気ない言葉の端から滲み出る押し付けがまさに、少年も得心がいったようだった。緑柱石の瞳に、どこかグラントと秘密を共有する悪戯っぽい光が浮かぶ。
「そうですね。……ありがたくいただきます」
「品質は悪くないものだから、安心して使ってほしいと伝えておいてくれるだろうか」
「はい。では、人を待たせてるので、これで失礼します。すみません」
「いやいや、こちらこそ長く引きとめて悪かった。君たちの旅路に女神の祝福があるよう、遠くから祈っているよ」
「……あなたにも。精霊の加護がありますように」
同じではない、けれど互いに誓うように言葉を交わし、グラントは少年に背を向け歩き出した。振り返ることなくまっすぐに、ゆっくり歩きながら、瞬き始めた星たちを見上げ嘆息する。
「まったく……ワイアット、お前の娘はお前に似て、なかなかにやんちゃだな」
救いがあるとするのなら、誰かを守るために逃げたのではなく、自分自身のために飛び出すという違いだろう。環境に追い詰められ、やむなくした決断だとしても、悲壮ではない覚悟の先はきっと、明るいものになるはずだ。
ましてや、彼女はひとりではないのだから。
「……幸せに、なれ……」
時に星々の導きが過酷な道を歩ませようと、それでも幸多かれと。
グラントはそれだけを願った。
『――このとき、クリス・ライトフェローの死をもって、王国の時代より連綿と紡がれたライトフェロー家は、断絶となる。残された土地・屋敷などすべて、本来であれば国庫へと没収されるはずだったが、クリス・ライトフェロー本人が残していた遺言により、ライトフェロー家を代々支えてきた執事にすべて譲られる事となった。』
「……そうか。小父様がな……。食えない人だったろう?」
「そうだねー、へんなおっさんだった」
「ふふ、お前らしい。ずいぶんと正直な感想だな。ところで、まずはどこへ行く?」
「んー……最初にカラヤに行ってもいい? ちょっとつらいかもしれないけど、母さんや皆にちゃんと挨拶しておきたいんだ」
「何を馬鹿な……それは当然のことだろう。わたしが言っているのは、その後のことだ」
「え? あ、ごめん」
「……まさかとは思うが、わたしが訊かなければ何も言わずに旅立つつもりだったのか?」
「いや、そういうつもりでもないけど……ごめん」
『――この一事をもって、自身の死を演出し、評議会に叛いて出奔したのではないかとの批判も一部起きたが、騎士として戦場に立つ以上、自身の死も起こりえる事態と予め想定していたにすぎないと見る向きが多数であった。また、その後のいかなる歴史書にも『クリス・ライトフェロー』の名は表れず、彼女がゼクセンで早すぎる死を迎えたのは、疑いようの無い事実であろう。』
「……すまない」
「なにが?」
「わたしのせいで、お前まで故郷を離れ、長い……永い旅に出ることになってしまっただろう? お前ひとりだったら、ルシアと別れず、ずっと村で生きていけただろうに……」
「んーどうだろう? オレひとりだったとしても、やっぱり村は出てたような気はするんだよね」
「なぜだ?」
「……あのさ。オレは結構時間あったから、わりと屋敷の本を読んだりしてたんだけど」
「ああ、父様と母様の趣味もあって、我が家は蔵書が豊富だったからな。それで?」
「で、まあ、歴史書なんかもよく読んだんだけど。……即位したときはいい王様でも、だんだん酷いことするようになって、死んで代替わりするときにはみんな喜ぶような……そういう王様ってたくさん居たみたいでさ」
「……そうだな。名君は名君であり続けることが何よりも難しい、そんな格言もあるぐらいだ。珍しいことではないのだろうな」
「村にいたら、母さんの跡を継ぐことになってたんだろうけど……それってやっぱり、どうかな、って。下手に時間も力もあるから、無茶なこと思いついたときに止めてくれる人って居なさそうなんだよね。ハルモニアもヒクサスってやつも、多分、最初は本当にいい王様だったのかもしれないし。ゼクセンへ来たから。そういう風に考えられるようになっただけかもしれないけどさ」
「……そうか。お前はつよいのだな」
「そんなことないよ。それにさ」
『――にも関わらず、ゼクセンにおいては『クリス・ライトフェロー生存説』が現代にいたるまで根強く残されている。これは陰謀の一端を明かしたというよりは、早世した英雄にありがちな、「その後もながく、幸福に生きてほしかった」という大衆の願いの現れ、と見るのが適当だろう。事実、その後大陸各地およびゼクセンで目撃されたという『クリス・ライトフェロー』の姿は、死後相当な時間が経っても「美貌の女剣士」で統一されており、それらがクリス・ライトフェロー当人であるとするにはいささか無理が生じる。それらを踏まえると、クリス・ライトフェローという人物は、まったくの他人の上にその名を被せてしまうほど、市民にとって親しみがあり、魅力があり、鮮烈な印象を残した英雄だったのだ、といえるのではないだろうか。』
「やっぱり、二人一緒のほうがいいよ」
「そうだな……」
『――なお、これらの事柄に関し、ゼクセン評議会および騎士団は沈黙を保ち続け、一切の公式コメントは残されていない。
エリオット・ハーネス著 『希代の英雄を紐解く』』
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