別れを告げる葬送の鐘

 最初の証人として入室したのは、まだ年若い騎士だった。評議会独特の雰囲気に気圧されているのだろう、まだそばかすが薄く残る顔に不安を色濃く浮かべ、落ち着き無く周囲を見回している。
「彼は?」
「昨夜、市中見回りの任についていたものだ。帰宅途中のクリス・ライトフェローと会話したのだとか」
「なるほど。騎士団の言を信用するのなら、いわば『最後の目撃者』というわけですな」
「いやいや、最後の目撃者は別の……ほら、例の……」
「ああ、アレですか」
 露骨な評議員たちの言葉に、漣のように忍び笑いが広がっていく。嘲笑に満たされた非友好的な空気に、若い騎士は居心地悪そうに身じろぎした。いかにも物慣れない様子に、グラントとしてはいささか同情を禁じえない。何度も評議会とやりあってきたサロメやクリスならさておき、彼にとっては右も左も分からぬ敵地にひとり、丸腰で放り出されたに等しいだろう。
(それに、きっと何も知らない)
 クリスの死の瞬間に彼が立ち会っていたのであればそう紹介されるだろうし、騎士団の報告書もあのように曖昧のままなわけがない。でっち上げだろうがなんだろうが、クリスの最期を看取ったものが居れば、評議会の疑惑ももう少し薄かったはずだ。
 もしクリスの死が騎士団の小細工だとすれば、サロメが絵図面を引いている可能性が高い。生真面目で融通がきかず、堅実でリスクを避けようとするあの若造なら、何も知らないからこそ証人にとっては真実となり、外に対する説得力が増す……それぐらいは考えのうちに入っているだろう。
 うろうろと視線を彷徨わせている騎士に、議長がそろりと促す。
「では、昨夜のことを証言していただけますかな?」
「は、はい。俺……わ、わたしがクリス様をお見かけしたのは、昨夜遅くのことでした――」

 

 騎士団の主な任務は、市民の盾となり剣となって外敵と戦い、これを打ち払うことともうひとつ、市民の安全と安心のために法を犯す者を捕らえる事である。そのため、昼日中は勿論のこと、夕方ビネ・デル・ゼクセの正門を閉ざしてからも交代で街中を巡回し、あるいは詰め所に待機し、すぐに対応するだけでなく犯罪の芽をできるだけ事前に摘み取るようにもしている。
 彼……アランも、その日夜勤当番として一人で見回りに出ていた。通常巡回の任務は二人一組で行うよう定められているのだが、一緒に行くはずだった先輩が直前になって体調を崩し、トイレの住人となってしまったのだ。
(変な意地はるからだちくしょー……)
 幾分投げやりな気持ちになる。あれほどやめろと忠告したのに、それを意地張って振り切って……この様である。金が無くてけちけちしたいのも、わざわざ料理を作ってくれるような恋人が居ないのも、お互い様のことで気持ちは分からないでもない。だが、それにしたって、幾ら寒さが残る夜もあるとはいえ春になったこの時期に、三日前に買った激安弁当を食べて腹を壊すとなると、同情する気がいまいち起きない。むしろ、同情して欲しいのはこちらだと心底思う。
「……」
 ところどころ明かりがともされているものの、路地は全体的に薄暗い。一人という心細さの成果、いかにも『何か』出そうな感じもする。自分ひとりの足音が石畳の上で跳ね返るのもなんだか不気味で、アランはぴたりと足を止めた。
(……帰ろうかな)
 自分ひとりだ、どうせバレやしない。そもそも、見習いから昇格したばかりの自分にできることなど、高が知れている。今までの巡回任務のときも、ただただ先輩の後をついていって、指示に従うだけだったのだ。
(全部全部、先輩が悪いんだ)
 綺麗さっぱり責任の全てを先輩に押し付けて、アランはうむうむとひとり頷いた。なに、ばれて怒られるとなれば先輩だって一緒のはずだ。いや、先輩のほうが、自分よりも遥かに罪が重い。彼が変な食い意地さえ張らなければ、ひとりしょんぼり見回りに出ることも、さぼろうなんて考えることも無かったのだ。それだけでなく、自分だけでは何も出来ないからせめて別の人と一緒に行かせてくれ、と懇願したのに、これも経験と暢気にトイレの中から言い放ったのもその先輩で。
 ……絶対にそれは自分の体調不良を他人に知られたくなかっただけに違いない。知られれば、回りの人間にからかわれることは必至だからだ。なんといっても、原因が間抜けすぎる。
(よし、帰ろう)
 心を決めてくるりと踵を返す。その刹那、不意に横から声をかけられた。
「……何をしている?」
「わっ、わわっ!?」
 驚いたアランは、飛び上がりながら声のしたほうに振り向く、という器用な真似をしてのけた。その直後、予想外の人物にもう一度飛び上がる。
「く、く、クリス様!?」
「……深夜にあまり大声を出すな、近所迷惑だぞ」
「あ、は、はい、すみません……」
 さらりと制されて、アランは慌てて声量を落とした。この時間帯、善良な市民の多くはもうとっくに床に就いているはずだ。大事な休むべき時間に無用の騒ぎ立ては、あまり褒められる行為ではない。
 玩具の人形のように、妙にしゃちほこばるアランに、クリスはふっと薄い笑みを口許に広げた。
「……そうガチガチになるな。別に取って食いはせんよ」
「あ、は、は、はい」
 そういう問題ではないと言いたかったがその言葉も出ず、アランはぎこちない笑みを浮かべてみせた。
 アランにとって、団長であるクリスはまさしく雲の上の存在だ。直接話すことなど考えられないし、大規模な訓練以外で顔をあわせることもない。第一、訓練のときであっても、近くで姿を見ることなんて無いだろう。せいぜい遠くからぼんやりとそれらしき人影を見かける、その程度だった。
 その彼女と、こんな時間、こんな場所で、出会えるとは。
(先輩が知ったら悔しがるだろうなぁ……)
 今夜一緒に出るはずだった先輩は、熱狂的なクリスファンだった。戻ったときに自慢すれば、少しは溜飲が下がるだろう。そう思うと、すぐに立ち去るのも躊躇われた。なんとか会話を続けたくて、とりあえず無難なことを口にする。
「えぇと、クリス様は、今お帰りですか?」
「ああ、仕事がちょっとな……。あの評議会の古だぬきどもめ」
 つながった会話に、アランはこっそりと安堵した。鎧こそ纏っていないものの、騎士団の隊服に剣を下げた格好からあたりをつけたのだが、どうやら正解だったらしい。
「こんな時間まで、お疲れ様です」
「ん、まぁな。いろいろとやることがあるから……」
「……はぁ。まぁ、そうでしょうねぇ……」
 正式に騎士に任命されてすぐで、自分の所属する部隊と同期の人間ぐらいにしか知り合いがいないアランであるが、上層部がどれほど忙殺されているかは、クリスファンの先輩から聞いていた。自分の技量を磨き、与えられる任務をこなせばいいだけのアランたちと違って、クリスたちの仕事には評議会との折衝や調整などもそれに加わる。
(こんなに、細く見えるのに……大変だなぁ……)
 語られるカリスマやその存在の大きさとは裏腹に、目の前に立つ女性は少し小さいように見えた。女性の中では長身の部類に入るのかもしれないが、仲間の大きな体格を見慣れた目には、思ったより小さく、華奢に写る。
 けれど、彼女の双肩には間違いなく騎士団がかかっていて。それはどれほどの重圧だろう。
 会話が途切れて、微妙な沈黙がたゆたう。次の話題をどうにか探そうと、脳内辞書をひっくり返すアランに、ふとクリスがゆるく周囲を見回した。
「もうひとりの姿が見えないが、何かあったのか?」
「いえ、その……急に体調を崩しまして……」
「帰ったのか」
「……えぇと、まぁ、そんな感じです……」
 まさか、最初から来ていないとはいえず、曖昧に言葉を濁した。そんなことを言えば、大目玉は確実である。それに事情を説明しようにも、うまく話せる自信は無かった。何しろあまり綺麗な話ではないし、先輩の失敗を話さねばならない。そうなると先輩の株も落ちるし……余計な事を言った、と自分にとばっちりが来かねない。
 ふむ、と考え込むように、クリスが唇に指をあてる。ややあって紡がれた言葉は、アランのどんな想像も及ばないものだった。
「……では、行こうか」
「ど、ど、どちらに!?」
「巡回任務の途中だろう。わたしも一緒に行く」
「えっ!? い、いや、でも、そんな……」
「それとも何か? まさか、一人なのをいいことに、さぼるつもりだったのか?」
「いや、でも、そのですね……」
 何とか断ろうと四苦八苦しているうちに、目の前のクリスの眼差しが底光りしてきて、妙に怖い。けれど……彼女は仕事帰りなのだ。今まで仕事だったのだ。これから家に帰って、短いけれどゆっくりと休息をとるべきであって、余計な仕事を増やさせるわけにはいかないとも思う。それに、何とか会話らしきものはできているとはいえ、一緒に見回るとなると緊張のあまり胃に穴があきそうだ。
(うぅ、それにバレたらどうするバレたら)
 アランの脳裏に、先輩の素敵な笑顔がよぎる。
 いくらクリスから申し込んでくれたとはいえ、忙しいクリスの仕事をさらに増やしたなどと知られたら。「申し出てくれたからそれを受けるだなんて……お前の辞書に『遠慮』の二文字は無いみたいだなぁ。なら俺も遠慮しないでおくな」などとにっこり笑顔で言ってくれるだろう。それだけでなく、隊長に嘘八百進言して自分の仕事を増やすとか、面倒な仕事を押し付けるとか、騎士になる前の失敗をどこからか聞きだして面白おかしく触れ回る、なんてこともやらかすかもしれない。
 ……いや、絶対にやる。そんでもって、自分の抗議などどこ吹く風、「これも愛の鞭だ」などと平然と嘯くだろう。そういう男なのだ、彼は。
「……返事は?」
 目の前のクリスとバレた後の先輩。どちらを選択しても恐怖の結末しか待っていないような気がする。いっそのこと、何とかクリスの申し出を断って、先輩の代わりの人間を見繕ってくるか。その場合も先輩の怒りは必須だろうが、一番被害が軽くすむかもしれない。
 何の根拠も無い想像だけれど。
(どうする俺!?)
 じりじりとクリスの眼光が強くなってくる。本気で泣きそうになったとき、ふいにクリスの表情がさっと変わった。視線をそらされたその先に、思わず自分も顔を向ける。
(……足音?)
 自分にはそれだけしか分からなかったが、クリスはそこから何らかの情報を得ているようだった。アランに教えるように、小さく呟く。
「足音はひとつ。何か急いでいるのだろうな、少し乱れている。あまりいいものではないようだ、行くぞ」
「は、はい」
 一歩踏み出したクリスの後を、アランは慌てて追いかけた。小柄なはずの背中が、ひどく大きく頼もしく見える。
(凄いよなぁ……)
 アランには分からないことでも、クリスにはおそらく当たり前のことのように『分かる』のだろう。たとえば足音ひとつとっても、自分はなんでもないことだと聞き逃していたはずだ。幾ら夜更けとはいえ、出歩く者がまったく居ないわけではない、そう判断して。事実、そこに事件性があるかどうかなど、考えもつかなかったのだ。
「……あれですかね」
 路地に入って幾ばくもしないうちに、ぼんやりと人影が見えた。向こうからも見えたのだろう、最後の力を振り絞るように駆け寄ってくる。
「……騎士さま……」
 現れたのは、ひとりの若い女性だった。青ざめた顔に必死の形相を浮かべて、アランの胸に飛び込んでくる。ただ事ではない様子に一瞬腰が引きかけるが、かろうじて騎士としての誇りがそれをとどめた。本音を言えば、どこか鬼気迫ってて怖いし逃げ出したいのだが、騎士が切羽詰まって助けを求める市民から逃げ出すなど、論外である。
「お願いです、助けてください!」
「ど、ど、どうかしましたか?」
「わたしの、旅の仲間が誘拐されたんです……!」
(ゆ、誘拐!?)
 投げ込まれた爆弾は、アランの想像をはるかに超える大きさだった。今まで、犬が逃げたから探してほしいだの、酔っ払いの喧嘩の仲裁などいろいろあったが……誘拐とは。
 事態のあまりの大きさに、思わずクリスに縋りつく眼差しを向ける。どうしたらよいのかわからず身動き取れないアランと異なり、さすがに慣れているのか、クリスが静かに問いかけた。
「夜遊びや迷子ではなく、誘拐と判断したのは何か理由あってのことか? 犯人から何か連絡でもあったのか?」
「は、はい。指定の場所にひとりで来るように、と……」
 ここへ来る間、無意識の間に強く握り締めていたのだろう、しわだらけの紙片を受け取り、アランは慎重に広げる。そこには確かに、仲間のひとりを誘拐したこと、身代金を一人で持ってくることなどの要求が記されていた。
「性質の悪い冗談かとも思ったのですが、宿のどこにもあの子の姿が見当たらなかったんです。これは騎士さまのお力を借りるしかないと思い……どうかお願いです、助けてください……」
「え、あ……」
 そんな状況ではないと重々分かってはいたが、一縷の望みを託すように縋り、見上げてくる女性の容貌に、アランは一瞬見蕩れた。
 幽かな星の光に照らされて、さらさらと花浅葱の髪が揺れている。そこから覗く細い耳は、彼女が人ではなくエルフであることを示していた。クリスとはまたタイプの違う、人間離れした繊細な美貌には、色濃い焦燥と騎士団に対する熱っぽい期待が浮かんでいる。
 妙齢の女性から潤んだ眼差しを向けられ、奮い立たない男は居ない。アランもその例に漏れず、思わず紙片を放り出すと、彼女の手を包み込むように両手で握り締めた。
「……もちろんです! わたしにお任せください!」
「落ち着かんか馬鹿者」
 浮ついたアランに、冷ややかな中に僅かな呆れを滲ませる声音が投げつけられる。振り向くと、うっかり投げ捨ててしまっていた紙片を拾い上げたクリスが、ざっと視線を走らせていた。ぴり、と張り詰めた空気を漂わせたクリスの表情は厳しく、自然とアランの背筋が伸びる。それだけの何かが、クリスの周囲にあった。
 アランと女性と、ふたりして見つめる先で、考えがまとまったらしいクリスが小さく頷く。
「……よし。わたしが受け渡し現場に向かおう。お前はそちらの女性を詰め所に送り届け、もう少し詳しい事情を聞いておけ」
「そ、それではクリス様が危険です。現場にはわたしが……!」
「そのほうがよほど危なっかしい」
「……」
 勢いだけの反論を一刀両断にされて、アランは絶句した。その間にも、クリスは現場の位置をもう一度確認しながら言を継ぐ。
「詰め所に着いたら、隊長にすぐ報告して応援を遣せ。緊急事態だ、仮眠中であれば叩き起こしてやれ。応援が来るまでに片はつけておくつもりだが、長引くこともあるかもしれんからな。あまり大人数だと目立ちすぎるから、少人数で構わん。あと、けが人は出さんようにはするが、万一ということもある、医師か紋章師を待機させておけ。それから……そうだな」
 考え込むように手を口許にやったクリスは、ふわりと女性に近寄った。女性を落ち着かせるためだろう、薄く微笑んでゆっくりと口を開く。
「申し訳ないが、外套を貸していただけないだろうか。さすがに騎士衣のままでは目立ちすぎる」
「あ、はい……」
 こくりと首を縦に振った女性が、薄手で丈の長い外套をするりと脱ぎだした。
 確かに、クリスが騎士衣のまま行くよりも、できるだけ一般人を装ったほうが油断を誘いやすいし、いらぬ警戒心を起こされることもない。いつかはバレるにしても、多少なりとも稼いだ時間は、クリスと人質にとって損にはならないだろう。
 女性と上着を交換したクリスはさらに、結い上げていた髪をさらりと解いた。足元は騎士の頑丈なブーツのままで、全体的にちぐはぐな印象だが仕方がない。本格的に偽装するには時間が惜しいし、かといって女性を交渉相手として現場に連れて行くには危険だった。いかにクリスといえど、人質と女性、二人を庇いながら戦うのは厳しいだろう。
 それに、「一人で来ること」と条件が指定されている。男を連れて行くよりはまだいいかもしれないが、ふたりだとそれだけで警戒されやすい。
「ふふ。鎧を着ていないだけ、マシだな」
「……そうですね」
 アランを安心させるためか、仄かに口許を緩めながらのクリスの言葉に、アランはかろうじて笑みらしきものを浮かべた。初めて肌で感じる「現場」の空気はどこか空恐ろしく、クリスがそう話しかけてくれなかったら、凍りついたまま一歩も動けなくなってしまいそうだった。
 それでも、いつまでも立ち竦んでいるわけにはいかない。クリスにはクリスの、そして後を任されたアランにはアランなりに、やらなければならないことが、ある。
 ましてや、アランは――『騎士』だ。本当の戦場も、犯罪者相手の現場も知らず、ただ年月が経ったから見習いから昇格した、それだけだとしても、目の前の女性のような一般市民からすれば、クリスと変わらぬ『頼れる騎士』なのだ。
 だから……為すべきことを。
「では、あとをよろしく頼む」
「……はい。クリス様も、御武運を」
 ゆうらりと外套の裾を優雅に翻して、クリスが軽やかに駆け出してゆく。その後姿をいつまでも見送っていたい衝動を振り切って、アランはゆっくりと女性に向き直った。
 クリスから命じられたことを、脳裏でもう再度確認する。隊長への報告、医師の手配、調書の作成、それよりもまず――。
「騎士団の詰め所はこちらです。大丈夫、連れの方はクリス様が必ずや助けてくださいます」
 するりと零れ落ちた言葉はただの方便ではなく、自分で思ったよりも深い信頼が滲み出ていた。そのことに口にしたアラン自身内心驚いたが……すぐに、すんなりと納得する。
 そうだ。クリスは英雄なのだ。その美貌もカリスマも明晰さも実力も、いずれにおいても疑念や心配の挟まる余地など、あるはずがない。だから、単独行動をとったクリスを案じるなどという大それたことよりもまず、自分が過たずクリスの命を伝えられるか、寄せられた期待に無事応えられるか、そちらを心配したほうが、いいに違いない。
 だって、彼女は間違いなく『英雄』なのだから。
 不安げに自分を見上げる女性が安心できるよう、意識してアランは微笑む。
「ご安心ください。……では、我々も少しばかり急ぎましょう」
「……はい」
 やや強張った笑みを、女性が浮かべる。そうして、アランと彼女は、足早に現場を立ち去ったのだった。

 

「……それが、貴殿の見た『最後』ということか」
「……はい」
 評議員の問いに、アランは悄然として頷いた。追い討ちをかけるように、別の評議員が問う。
「その後の『応援』には行かなかったのかね?」
「……はい。『少人数』との団長のお言葉もありましたから。わたし自身足手まといになると思いましたので……」
 途切れた言葉と、うつむいて見えない表情の奥に、どうしようもない悔恨が見えるような気がして、グラントは小さく嘆息を漏らした。きっと彼は、クリスと別れるまでの瞬間をひとつずつ記憶から取り出し、「あのときこうしていれば」という想いが拭えないのだろう。一人で見回りに出なければ。クリスについて行けるだけの実力が自分にあれば。無理にでも行動を共にしていれば。そうしたら、何かが変わったのかもしれない、と。
 もうひとつの未来など確かめようがなく、だからこそ痛みは澱のように降り積もる。その想い自体はグランドにも経験があるものだ。多くの友の死をそうやって見送り、それでも少しずつ歩いてきて、現在の自分がある。
 だが、とグランドは声もなく呟いた。
「顔を上げ、発言は明確にすべきだろう、アラン殿」
 叱責というにはいささか冷ややかな声音に、遠くに座るトーマスが不安げな眼差しを投げかけてきた。てっきり庇い慰めるとばかり思っていたのだろう、むしろ咎めるような口調が意外だったに違いない。
(まったく……どいつもこいつも)
 軟弱者め、と口には出さずにぼやく。そんなだから、柄でもないお節介なんぞ焼きたくなってしまうのだ。お前が言えた義理かとげらげら笑う親友達の脳内幻像を飛び膝蹴りで追い払って、グラントは若い騎士を威圧するように見据えた。
「……アラン殿」
「はい」
 現役を退いてかなりの年月が経っているとはいえ、実戦を知らない騎士と……それから狸と帳簿ばかりを相手にしている評議員たちには、かなりのプレッシャーになったようだった。潮が引くようにざわめきがおさまった議場に、グラントのふてぶてしい声が響く。
「貴殿の職務は、何かね?」
「……は、仰る意味がよく……」
「この場でめそめそ繰言並べ立てるのが、騎士たる貴殿の職務なのかと聞いているんだ」
「……!?」
 鉄の棒を真っ向正面から力いっぱい打ち下ろすかのような、遠慮も呵責も、ついでに婉曲という語さえも窺わせない発言は、日ごろ何かと騎士団を庇っていたグラントだけに、議場の誰にとっても予想外のもののようだった。動揺収まらぬざわめきの中、さっと顔色を変えたトーマスが非難の声を上げる。
「グラント殿! その言い様はあまりにも無礼ではありませんか!?」
「黙れ若造」
 トーマスの抗議を、視線すら向けずただの一言で切り捨て、グラントは絶句している若い騎士を鋭く見つめた。語気こそ静かなものの、言葉に込められた何かに気圧されたのか、トーマスが不満をあらわにしつつも口を噤む。
 まっすぐに向けられたアランの双眸は、僅かに赤く腫れているようにも見えた。おそらくこの場に来るまでに、己の無力を思い出し何度も泣いたのだろう。その優しさや素直さは微笑ましいと思うし、それだけクリスが慕われていたという事実は、グラントにとって誇らしいものでもある。
 ……けれど、それだけでは駄目なのだ。守られる側ではなく、守る側であることを選択したのであれば、ただ優しいだけでは駄目なのだ。
「もう一度問い直そうか。貴殿の職務は、なんだ?」
「……」
「答えることが出来ないなら、問い方を変えようか。騎士の職務とは何だ?」
「……そ、れは……市民の盾となり剣となって戦うことです」
「そうだ」
 それは騎士たちに、一番最初に叩き込まれる言葉だ。理念そのままの言葉でしか受け答えできないということは結局、彼の中で噛み砕かれてはいないということで……だからこそ脆い。彼自身の信念として根付かない限り、何か事があればそれは「折れて」しまう。そして彼が騎士として在ることを決めた以上、いつまでも脆い芯しか持たないようでは困るのだ。
「騎士は、市民のために戦う。それこそが騎士を騎士たらしめる規範だ。……決して、団長のために戦うのでは、ないはずだ」
「え、いや、しかし……」
 さりげなく放たれた言葉の、含むところに気づいたのだろう、アランの表情にうっすらと困惑が浮かぶ。クリス相手では決して見られなかった素直な反応を、内心素直に思いつつ、グラントはさらに一歩踏み込む。
「では少し違う質問をさせていただこうか。団長が亡くなられた原因を、貴殿はどう考える? また今後貴殿はどのようにすべきと思ってるのかね?」
「クリス様は……それは、わたしの……」
 改めて突きつけられ、アランの口許が不自然に震えた。視界の端で、トーマスが珍しく憤りをこれでもかといわんばかりにおもてに出してこちらを見ているのが映る。それでも発言を控えていてくれているのは、トーマスなりの、グラントに対する信頼がぎりぎりのところで作用しているからだろう。とはいえ、現在評価は絶賛『鰻下がり』中だろうし、信頼回復には相当の時間と努力が必要になるはずだ。それ以前に、きっぱり見切りをつけられる可能性のほうが高いかもしれない。
 実際、クリスの姿を見送った人間に対し、相当に惨い質問であることは自覚している。先ほどの面罵が『鉄の棒でぶん殴る』だったら、今の問いはさしずめ『致命傷を抉る』といったところか。陰険であるだけに、毒はあっても殺傷力は無いやり取りが多い評議員には、居た堪れないものがあるようだった。普段騎士団を卑下している者の仲にさえ、明らかにアランへの同情を無言のうちに表明している者が居るほどだ。今現在、憎まれ者の名をひとり挙げるよう言われたら、グラントがただ一人挙げられるに違いない。
「団長は、……わ、わたしの力不足で……わたしがもっとお役に立てていれば、亡くなられずにすんだと……思います」
 嗚咽を堪え、言葉を詰まらせながら……それでも懸命に答えるアランに同情の眼差しが一斉に向けられる。しかしその中で、グラント一人が、猛獣の笑みを閃かせた。
「……付け上がるなよ小僧」
 放たれた言葉は低く静かだったが、そこには無視し得ない凄みが宿っていた。人喰い虎の笑みを貼り付けたまま、グラントは悠然と足を組みかえる。
「貴様の行動ひとつでクリスは助かったとでも言うつもりか。逆上せ上るのも大概にしておくがいい。貴様一人にどれだけの力があると思ってるのだ?」
 柄じゃないのも、筋が違うのも。どちらも百も承知している。
 これは本来アラン個人の話ではなく、年若く挫折と恐れを知らず理想を信じている騎士たち全員に、生きていたならガラハドあたりが伝えておくべきものなのだ。あるいは、今ならレオあたりが適役か。
 とはいえ……今の騎士団にそれを求めるのも、酷な話ではあるのだろう。先の戦と、そこまで続いたグラスランドとの抗争は、騎士団に無理な新陳代謝を促している。生き残った者達の負担は大きく、技術面のみならず内面まで鍛えさせろなどというのは、いささか無理に過ぎる要求だろう。
「もしや、本気で何でも出来るなんて信じておるのではないな? どんな状況でも、誰が相手でも、すべて助け守ることができるってどんな万能人間だ、ふざけるな」
「……」
 返る言葉は無い。けれど、グラントの発言に対し次第に強くなるアランの眼差しは、何よりも雄弁に内心をあらわしているようだった。喪ってしまった『娘』を思い出させる、負けん気の強い瞳に、自然と笑みが深くなる。
「違うだろう? 人を助けるってことは、守るってことは……ひとの人生を変えるってことは、もっと難しいことだろう? 簡単にはいかないもので、だからそのときのために毎日血反吐はいて訓練して訓練して、訓練しまくるのだろうが。この馬鹿者め」
 大事な悪友たちが遺した、若い騎士たち。彼らはグラントにとっても、やっぱり大事な後輩のようなもので。だからこそ知っておいてほしいし、忘れないでいてほしいのだ。
 ひとの命の重みを。守るために振るう、剣の罪深さを。白銀の甲冑に寄せられる期待と理想と、どうにもならない現実との落差を、それでも足掻く意味を。
(だから……仕方ない、か)
 未熟な若者を導くのは、古今年寄りの仕事と決まっている。正論吐いて説教して、ついでに煙たがられるのも年寄りの仕事の範囲に入っているのだろう。
「クリス殿は、市民を守るために戦い、命を落とされた。それ自体は悲しい出来事かもしれんが、貴殿の泣き言なんぞ入る余地は無い」
「……はい」
「貴殿にできることは、騎士として市民を守れるよう鍛錬を怠らぬこと、それから……今後もより多くの市民を守れるよう、死なないことだ。わかるな?」
「はい」
 クリスの死がひとりで人質奪回へ向かった事とするのなら、アランのすべきことは嘆くことではない。同じ事を繰り返さないよう、常に複数で行動できる、そんな「組織」を作るようにすることだ。自分ひとりで組織を変えられないのであれば、変えることのできる者たちに訴え、変化していくことこそが必要なのだ。個の力を高めるのは勿論だが、それだけでは再び喪われてしまうものも、ある。
 入室したときとはまるで別人のように顔を上げ、はっきりと答える青年の姿に、グラントは微かな苦笑を口許に漂わせながら、ゆっくりと座りなおした。
(まったく……)
 羨ましいものだ、と素直に思う。小さな助言ひとつで見失っていた光や道標、そういったものをすぐさま掴みなおせるしなやかさは、それでひとつの力となる。持っているときは気づかないだろうが、年を経ると共にそうした柔軟さを喪った自覚があるグラントにしてみれば、羨ましく……眩しい。
「……さて」
 訪れた妙な沈黙を払って、グラントは両肩の力を抜いて議長に向き直った。
「随分としゃしゃり出てしまい、申し訳ない」
「い、い、いや、なかなか貴重なお話、大変興味深く聞かせていただきました」
 ははは、と乾いた笑い声を上げて、議長がかいてもいない汗を手巾で拭った。先ほどのグラントの迫力がよほど怖かったのか、声が上ずり震えている。悪いことをした、とちらり思ったが、かといって今からどうすることもできない。今更態度を取り繕い下手に出たところで、何か企んでいると勘繰られるのがオチだろう。今日の会議だけで随分と株を落としてしまったような気がするが……まあ、こればかりは仕方が無い。
 こほん、とわざとらしい咳払いをして、グラントはぐるりと議場を見回した。
「さて皆様、そろそろ別の人物からも事情を伺い、多角的に議論することも必要だと思いますが……いかがですかな?」
 グラントの提案に、議場が僅かにざわめく。積極的に賛成ではないが、否定的というほどでもない空気に、議長がこくこくとせわしなく頷いた。
「ではアラン殿、ご苦労であった。退室してよろしい。……では、次の証人を入室させたまえ」

コメントを表示する

コメントはお気軽にどうぞ