別れを告げる葬送の鐘

 

 かーん……からーん……。
 高く遠く響く鐘の音は、どこか常にない哀しみを孕んでいるようだった。いつもなら活気にあふれている商業の都ビネ・デル・ゼクセだが、今日ばかりは深い深い弔意に包まれ、どこか街全体が沈んでいるようにさえ見える。
 現代の英雄、女神ロアの現し身、白き乙女……多くの異名を捧げられ、従うべき騎士たちだけでなく数多の市民からも絶大な信頼を受けていた、ただ一人の死によって。
 彼女の死は瞬く間に広まっていった。号外を撒くまでもなく人々の口から口へと伝えられ、彼女の遺体を一時的に収めている聖堂には、せめて最後に花を捧げようとする市民であふれている。
「……困ったことになりましたな……」
 聖堂を見下ろす評議会の一室で、一人の男が口火を切った。
 クリス・ライトフェローの死は、市民だけでなく評議会にも衝撃をもたらした。グラスランドと多少の小競り合いが残っているとはいえ、五行の紋章戦争以後のゼクセンはおおむね平和と評して差し支えのない状態だったのだ。ガラハド前団長が喪われたときとは、状況がまったく異なる。即刻、議長の名により緊急の評議会が招集されたのは、その大きさを物語っているともいえるが……もうひとつ、別の疑念もまたあった。
 それは。
「いささかタイミングが良すぎはしませんかな?」
「さよう。騎士団が我々や市民を謀った小芝居ではありませんか?」
 相次ぐ発言者の声にも表情にも、一様に苦々しいものが滲んでいる。それを義憤と呼ぶにはいささか、濁りが強い。他人を騙すことに良心の呵責を感じなくとも、騙されることには我慢がならないのだろう。
(変にプライドが高いと大変だな……)
 同じ評議員でありながら、冷めた目つきで辺りを眺めたグラントは内心そう評した。
「だとすると由々しき事態ですぞ!」
「我々評議会に対する裏切り行為ではありませんか!?」
 同調する他人の発言に、苛立ちが刺激されているのか、飛び交う言葉には次第に罵詈雑言が混じりゆく。まともに取り合っていれば、腹立たしいことこの上ない。聞かなかったことにしてしまうのが、精神衛生上一番いいだろう。豊かな口ひげの下でふん、と口をひんまげ、グラントはゆったりと腕を組んだ。
 若い頃は血の気も多く、一時期騎士団で過ごしたこともあるグラントにとって、現在の評議会の有様は、あまり愉快なものではない。騎士たちが戦に赴き泥と人血に塗れている間に、評議員の多くが下らない権力闘争に現を抜かすなど言語道断だと思っているし、ハルモニアと緊張状態にあったとき騎士団がクーデター紛いの行動を起こしたときも、ひとりざまぁみろと快哉をあげたこともある。
 だから、反論したいことは山ほどあるし……実際そうして騎士団をかばったことは何度もある。
 そもそも、グラントと騎士団の縁は、浅くは無い。グラントと交友関係にあったワイアットの娘を可愛がり、アンナ亡きあと後見人として何かと援助したこともあるし、彼女もグラントを「小父様」と呼んで懐いてくれていた。互いに家族が無く、だからこその擬似的なものだとしても、グラントには十分嬉しいことだった。
 そして騎士団。
 ガラハドやペリーズなど亡き友の意思を受け継ぎ、誇り高くある騎士団の若者達が、自分が諦めた生き方を貫くその様はひどく眩しく、愛しい。
 もちろん、グラントが騎士団を何くれとなく庇う理由は、そうした過去の想い出や情によるものだけでもない。評議員として、今の評議会の在り様はゼクセンにとってあまり良くないのではないか、という政治的な判断も、ある。
 組織図で言えば、騎士団は評議会の下に位置する。事実、騎士団の出動は評議会によって促されるし、予算や人事の承認など、評議会から多くの制約を受けている。だが、だからといって、騎士団を道具か何かのように軽く扱うのは、評議会の驕りではないか。騎士団の評議会はともに市民のためにあるべきで、そういう意味では対等である……建前だけにしてもその理念を守る様子がなければ、評議会の独善を誰が止めるのか。
 『評議会は騎士団を掣肘し、騎士団は評議会を牽制する』……その理想をひそかに掲げてもう二十年になるけれど、いまだそれが実現する兆しは微かにしか見えない。遅々として進まない足取りに、女神ロアの胸に抱かれ眠る友人たちは指をさし笑っているかもしれない。
(だが……)
 およそ高尚とは言いがたい発言の数々を聞き流しながら、グラントは末席で静かに座っている若者に目を向けた。もうじき二十歳になろうかという彼は、今ではグラント以上に「騎士団寄り」と目されている要注意人物である。
 一昨年評議会から退いた父ロウマの跡を継ぐ形で評議会の一員となった彼トーマスだが、現在の発言力は父ほどには無い。単純に血筋による継承だけではなく、サロメの助力と何よりもゼクセンから見捨てられつつあったビュデヒュッケ城を建て直すという経営手腕を評価されてのことだったが、いかんせんトーマスは若すぎた。
 他の議員達よりも一回り以上若いトーマスの言葉は、所詮若輩者の青臭い戯言よと軽んじられることが多い。慎重に的確に、要所をとらえた発言をしなければ、そのまま聞き流されることを瞬く間に学んだのだろう、穏やかな笑顔と丁寧な物腰で粘り強く強かに話を進めていくその様は、グラントから見てもなかなかに面白い。いずれはこの評議会のあり方さえ変えるような、そんな大仕事を成し遂げてくれそうな期待がある。
 いつもなら騎士団に対する誹謗をやんわりと遮るトーマスだが、今回は何も動きを見せようとしなかった。あるいは、機を測っているだけなのかもしれないが、どこか違和感は残る。
 何よりも、評議員達の疑いも、まるきり見当外れというわけではないのだ。
 ちらりと落とした視線の先には、騎士団からの報告書の写しがある。今朝になって評議会に届けられ、この会議の発端となった。それには、クリスの死に至る経緯が簡潔に記されていた。
『帰宅途中、誘拐の現場に遭遇。犯人を倒し人質を奪還するも深手を負い、死亡。死因は失血によるショック死と思われる』
 クリスの死はグラントにとっても衝撃的だったが、同時にクリスらしい、とは思う。誇り高い彼女のことだから、市民の安全を揺るがすようなものに対して見過ごすことなどできるわけがない。弱者のための剣となり盾となることを理想として掲げ、そのために行動してきた彼女だから、いつかはこんな無鉄砲なことをやらかすのではないかと心配してもいた。何度も繰り返し無茶を控えるようたしなめ、そのたびに「わたしは大丈夫ですよ小父様」とやんわり微笑まれていた。
 来るべき時がきた。いつかこんな日が来る予感がした。それは事実だ。
 しかし、同時に出来過ぎの感も拭えない。それもまた事実であった。いみじくも評議員の誰かが言ったように「タイミングが良すぎる」のだ。
 今年に入ってから、クリスは何度か騎士団長を退任し、騎士団からも退くこと、及び後任の人事を評議会に打診してきていた。そして、そのたびに評議会はことごとく退けていた。それはもちろんクリスの強さやカリスマなどが、評議会にとって利益となるからではあるが、もうひとつ、街中の怪しげな噂も理由のひとつに入っていた。
 いわく。
『クリス様は戦争のさなかに真なる紋章を授けられ、不老不死となったらしい』――。
 真偽のほどは疑わしい、ただの噂だ。しかしクリスの変わらぬ容姿を理由に、評議会はその噂に飛びついた。真なる紋章は神に等しい力だ、これを見逃す手などあるはずがない。また、クリスが常に手袋か篭手を身につけ、手の甲を頑なに見せようとしなかったのも疑いを強めた。こうしてクリスは退団を希望し続け、評議会はそれを却下し続けるという状況ができあがったのである。何しろ『不老不死』である、あと十年もすれば確実に真偽は分かる、それまで騎士団にとどめておけばいい――そうした思惑が、評議会にあった。
 つまり、騎士団にはクリスの死を偽装する理由が、あるといえる。死者は自由だ、生前のしがらみから解放される。評議会にクリスの退団を認める意思が無い以上、クリスは死によってしか騎士団から抜け出せない。
(クリス、お前は幸せに、なれたのか?)
 クリスがまだ団長に就任する前……そもそも騎士団に入るとクリスが決めたそのときから、グラントは口をすっぱくして騎士を辞めるように何度も何度も忠告した。何も手を血に浸して生きる必要は無い。父が母が望んだように普通の娘らしく、穏やかに、誰かに恋して結婚して子供を生んで育てて。誰もが想像する平凡な幸せのかたちこそが、グラントの……そしてアンナとワイアットの望みでもあったはずなのに。
 幼い頃から見守っていた娘は、いつしか無邪気な笑顔を忘れて厳しい横顔しか見せなくなっていた。大人びた厳しさを眼差しに宿し、自らの生き方を戦場に定め、修羅の道を歩むことを自ら決めた、つよい娘だった。
 けれどここ数年の間に、艶やかな笑顔を見せるようになった。ほんの数日前、最後に逢ったときはめったに無い柔らかい笑みを浮かべていた。それは、恋を知り愛する人を得た女の笑みだ、と思った。強く脆く何も相談などしてくれない娘だったけれども、彼女は大事な人をみつけたのだ。
 母のように。生涯恋う相手を。
(お前は、お前の幸せをみつけられたのか?)
 ふっと薄い笑みを浮かべて、グラントは静かに眼差しを室内に向けた。実の無い議論は感情を沸騰させるばかりで、一向に進む様子を見せない。力の無い議長に、これを抑えるすべは無いのだろう。
 そろそろ、頃合か。ちらりと視線をむけると、穏やかな中に辟易した様子を微かに滲ませ、困ったように微笑んでいるトーマスと視線があった。こちらの意図を察したのか、僅かに頷いてからトーマスがそろりと挙手する。
「議長、よろしいでしょうか」
 控えめな発言は、限りなく自然に無視される。それでもトーマスは構わず言を継ぐ。
「ここで皆さんが疑問を呈していても、議論は一向に進む様子を見せません。ですので……」
 トーマスの声は、穏やかだがそんなに通りが悪いというほどでもない。だが、聞きたいものしか聞かないものたちには届かない、ということか。それは声質などの問題ではなく、ごく単純に性格の問題だ。
(ならば遠慮する必要もないわな)
 あっさりと物騒な思考を浮かべて、グラントは不意に右手を机に叩きつけた。だんっ、と大きな音が鳴り響く。
「……!?」
 突然の物音に言葉を失い、周囲を見回す評議員達を尻目に、グラントは悠々と腕を組みなおした。どうせ周りを見ていない人間たちだ、気にすることは無い。その間隙を縫うように、トーマスは一度切った言葉を続ける。
「……ですので、騎士団のどなたかを証人として呼んでみてはいかがでしょう? 直接彼らに尋ねるほうが、よりはっきりと真実を見極めやすいと思いますが」
「よろしい、認めよう」
 評議員たちの進まない議論に、議長もうんざりしていたのだろう、あっさりとトーマスの言葉は受け入れられた。議長の命を受けて、警備のものが慌しく部屋を出て行く後姿を見送って、グラントは僅かに目を伏せた。
 真実が何処にあろうとグラントには関係ない。これが真実騎士団の小芝居であろうと、事故であろうと、どうでもいいことだった。己の信念に殉じることを躊躇わない娘だったから、どちらであろうと『クリス・ライトフェローの死』という結果は、彼女自身納得して選び取ったもののはずだ。ましてや彼女には、彼女とともに歩く人が、居たはずだから。
(……ならばわたしは、お前の眠りを妨げさせないようにするよ)
 家族のように大切に思っていた、『娘』のために。

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