祝い雪

 ひらりひらり。ひらひら。
 灰色に曇った空から、幾つもの花が舞い降りる。風に乗って舞う花びら、確かにそう見えて、クリスはただ一心に空を見上げた。
 ビュッデヒュッケ城に突き刺さった船の甲板には、他の人影はまったく見えない。湖に突き出しているため、城のほうからも姿が隠されており、ひとりになり たい時にはうってつけの場所である。普段ならばここでルースが洗濯物を干していて、他愛のない話をするところなのだが、今日はさすがにこの天候のせいか、 城のほうにいるらしい。
 白い白い、雪。
 さほど着込んでいないため、足先から凍りつきそうである。それでも、クリスは動かない。どこまでも深い空を見上げ、ふわりふわりと降りてくる氷の花を見ていると、圧倒的な『空間』の質量に押しつぶされそうな気がしてくる。
 眩暈がしそうになり、ふと瞳を閉ざした刹那。
「…なにやってんの? こんなトコで…」
 いまだ幼さを残した少年の声が、した。振り向けばそこに、浅黒い肌の少年が立っている。
「すっごく、寒くない?」
「ヒューゴのほうが寒そうに見えるが…」
「しょうがないよ、グラスランドに雪なんて降らないんだからさ」
 クリスの反問に、ヒューゴは緩く苦笑して見せた。
 草原は、そればかりではないだろうけれど、乾いた空気と肌を灼く太陽が季節のほとんどをしめている。自然と、衣服は風通しが良く、かつ太陽の熱をさえぎるようなものが多い。グラスランド・カラヤクランの衣服を身に纏ったヒューゴは、見るからに寒そうである。
「雪を見るのは初めてか?」
「うん。なんか…思ってたよりキレイだなぁ。いいな、クリスさんはいつも毎年こんなの見れてるんだ」
「いや、私も実はあまり雪を見たことはないんだ。ビネ・デル・ゼクセにはあまり雪は降らないから」
「そっか…」
 好奇心旺盛そうなヒューゴの様子に、クリスはゆるりと笑みを零した。きっとこの純粋な少年には、雪もただ「美しいもの」として映るのだろう。己の内にある汚さを覆い隠してくれはしないか、とどこか願ってしまう自分とは違って。
 ひとしきり無言で空を見上げていたクリスだったが、不意にちいさなくしゃみが聞こえて、慌ててヒューゴのほうを振り向いた。静かだったのですっかり帰ったのだとばかり思っていたが、どうやらずっと隣にいたらしい。
「ご、ごめん、考え事の邪魔をしちゃったかな」
「いや、それはないが…それよりも、早く中へ入ったほうがいい。そのうち風邪を引くぞ」
「うん、そうする、けど…」
 曖昧に語尾をごまかしたヒューゴに、クリスは首をかしげた。竹を割ったような、とまではいかないものの、少年の気質は真っ直ぐで、喋り方もはきはきしているし視線も前を鋭く貫く。人を護ろうとするときも…人を、憎むときも。
 その、少年が。
「…風邪を引いてしまったのか?」
「違う、違うんだけど、その…」
 ゆらゆらと視線を揺らがせて、曖昧にもごもごと呟いている。非常に珍しい様子に、クリスはますます首を傾げてしまった。何か、よほど言いにくいことがあるらしい。
 大人しく黙ったままヒューゴの言葉を待つクリスに、やがて遠慮がちにヒューゴが切り出した。
「…あ、あのさクリスさん、今日ってゼクセンの人たちにとってはお祭りなんだってね」
「あ、ああ。クリスマスというんだ。遥かな昔、女神がひとりの人間を我らに遣わしたという…今日はその聖人が生まれた日らしい」
 ためらいがちなヒューゴの言葉に、クリスは頷いた。グラスランドにはない風習をヒューゴが知っているということに、内心驚きを隠せない。
 だが、よく考えてみれば、今日はゼクセンの騎士たちが飲み騒いでいる。何があったか、とヒューゴが疑問に思って訊ねたのだろう。あるいは、騎士の誰かにクリスを呼ぶよう頼まれたのかもしれない。
 クリスはあまり酒に強くはない。しかも、騎士の誰も彼もが酒をすすめてくるので、いちいち断るのが面倒なのだ。隙を見つけて、というのも失礼な話なのだが、とにかくこっそりと場を抜け出し、こうして降り積もる雪を眺めていたのだが。
「それで、ボルスさんが教えてくれたんだけど。今日は、大切な人に贈物をする習慣があるって…」
「そうだ」
 短く頷いたクリスは、ふとぱちぱちと瞬きをした。わざわざ、今日のこの日に、そんな話をするということは。
「…もしかしてヒューゴ」
「な、ななな、なに?」
 真っ直ぐな双眸をじっと覗き込んで訊ねると、明らかに動揺のあまり裏返った声が返ってきた。頬どころか耳まで真っ赤になっている。
 …やはり。これは間違いない。
「ヒューゴ、お前、ゼクセンに好きな女性でも出来たのか?」
「………………………間違ってないけど、なんでそう思ったの?」
「いや、何を贈ればいいのか私に聞きにきたのか、と。生憎だが、私は贈物などには疎くてな…どうせだったら、リリィのほうが詳しく教えてくれるぞ。……どうした、風邪を引いて気分が悪くなったのか?」
 先ほどとはうってかわって、がっくしと落ち込んでいるらしいヒューゴに、クリスは心配そうな表情になった。手を伸ばしてヒューゴの額に触れてみるが、何 しろクリス自身長い間外にいて冷え切ってしまっている。急激な温度差に、手は何に触れても「痺れそうに暖かい」感触だけで、微妙な温度差など分かりそうも ない。仕方がないので、自分の額と触れ合わせてみる。
「…ふむ、熱はないようだが」
「クリスさん、これ!!」
 冷静に呟いたクリスの身体が、押されるようにして急にヒューゴから離れた。ヒューゴが突き出したそれに、思わず勢いに押されてそれを受け取ってしまう。
 それは、飾り気も何もない、軽い小箱だった。
「…ヒューゴ?」
「それあげるっ。じゃあ、俺はこれで! クリスさんも早く戻ってきなよ!」
 慌てて早口にそれだけを告げて、ヒューゴは脱兎のごとく逃げ出した。乱暴に閉められた城へと通じる扉が、ばたんと音を立てる。
 『あげる』ということは。
 これは。
「…贈物を、貰ってしまった…」
 呟いたクリスの頬は、駆け去ってしまったヒューゴに負けず劣らず、きれいな桜色に染まっていた。


 その後。
「クリス様? それはどうなされたのですか?」
 ゼクセン人にとっては聖なる日だとはいえ、書類関係の仕事がなくなるわけでもない。夕方、今日のうちにブラス城から届けられた書類のうち、大至急目を通 さねばならない分だけを持ってクリスの部屋を訪れたパーシヴァルは、目ざとくクリスの耳元を彩るそれに気づき尋ねた。
「え、ええ!? いや、これは、その…うん、まぁ、ちょっと気分を変えてみようかと思ったんだ。変かな?」
「いえ、大変良くお似合いですよ」
 内心の思惑など綺麗に隠し、パーシヴァルは普段と変わらない穏かな笑みを浮かべて見せた。
 嘘などつけないクリスの性格からして、これほど動揺するということは、自分で買ったものではないのだろう。第一、クリスは装飾にあまり興味がない。
 誰かからの贈物。それも、おそらくは男性。ゼクセン騎士たち、それもクリスに近しい五騎士たちの間では抜駆け禁止同盟があるから、自分の知らないところでクリスに贈物があるわけがない。
 …とすると、ゼクセン以外の人間。とするとナッシュがもっとも怪しくなるが、肝心なところで不運が付きまとう彼が、こんな大それたコトを成し遂げられるわけがない。
 消去法で考えてゆくと、候補はかなり絞られてゆく。
 クリス親衛隊副隊長としての隠れた職務を、おろそかにする気はさらさらないパーシヴァルである。クリスを狙う輩には、ボルス共々鉄槌を容赦なく下すことに、何のためらいもない。
「まぁ…誰であろうと見つけ出してみせますけどね」
「パーシヴァル? どうかしたのか?」
「いえ、なんでもありません」
「そうか? ならいいがな」
 いささか剣呑な微笑を唇に刻んだパーシヴァルとは反対に、クリスはひどく上機嫌で微笑する。その両の耳朶で、クリスの瞳と同じ色のアメジストのピアスが、きらりと小さく光を放った。
 その後暫く、ゼクセン騎士団には並々ならぬ殺気が渦巻いていたという。

 アメジスト。その持つ意味は「誠実」「高貴」。
 誠実な愛を、貴女へ…

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