永遠

 りりん、りりん、と虫たちの奏でる音が静かに響き。
 吹き渡る風に、森の梢がざらざらと揺らいだ。

 クプトの森奥深くに護られた、アルマ・キナンの村。
 その外れにひっそりと建てられた祠の前で、ユンとクリスは並んで座っていた。先ほどからどちらも口を閉ざしたまま、静まり返っている。
 ユンの「口寄せの子」としての最後の務めは、精霊となりこの地を護る力となるもの。その大事な儀式の前に与えられた最後の自由時間を、ユンは自身の意思でクリスと過ごすことを選んだ。
 精霊となってしまえば、クリスにはもう何も伝えられない。精霊を信じないゼクセン人であるクリスには、きっと呼びかけても届かないだろう。
 だから、今のうちにいろんなことを伝えておきたかった。自分の命は、生は、無駄ではないことを。他の誰よりも「ユン」自身が失われることに異を唱えた、優しい彼女に。
 ちらりと視線を流せば、彼女は燃え立つ暁の瞳をまっすぐ前に向けていた。呼びかける声が、わずかに震える。
「……クリスさん……まだ、怒っていますか……?」
「違う、怒っているわけでは……いや」
 己の発言を否定して、クリスは唇を噛んだ。
「確かにそうかもしれないな」
 深い森の葉の隙間から、僅かに地上に届けられた月の光が、クリスの銀の髪を浮かび上がらせる。微かに眼を伏せて、唇の端に漂わせているのは自嘲の笑みだ。
「護りたい人を、土地を、護るために私は騎士を目指したというのに……私は、ユンを助けることすら出来ないのだな」
「違います!」
 否定の言葉は、予想外に大きく響いた。
 驚いたクリスが眼を大きく見開いて見つめ返す。
 他の誰よりも、クリス自身に知っておいて欲しかった。犠牲になるわけではない。ただ、自分が、護りたかっただけなのだ。
 その手段が、クリスとは異なるだけで。
「わたしが、クリスさんを……クリスさんたちを、守りたかったんです。だから、クリスさんが気に病むことはないんです!」
「……そうか……。ならば、私は何も言えなくなってしまうな」
 ユンの言葉に、泣きそうに瞳をゆるがせて……けれど、言葉だけは冷静に、クリスが呟く。
 その瞬間、ユンは理解した。
(……ああ、そうなんだ……)
 護りたいのは、土地などではない。その土地に住む、大事な人を護りたいのであって……そして、自分にとっては、この、泣くことを知らない少女なのだ。
 気高く。誇り高く。どれだけ傷ついても、真っ直ぐに前を見て。自分に厳しく、泣くことも許さない、不器用だけれども、人一倍優しい彼女。
 届かなくてもいい。同じ想いを返してもらえなくてもいい。ただ。
(……知っていて。わたしの想いを……)
「ねぇ、クリスさん。精霊の加護って信じますか?」
 唐突な話題に、クリスは考え込むように瞳を揺らした。こうしてみると、感情が現れないようでいて、瞳や仕草に現れていて、本当に不器用なんだな、と実感してしまう。
「……信じている、とは言えない。だが、私が知らないだけで、在るのかもしれない、とは思う……」
 最初のクリスの考えからすれば、それでも格段の進歩で。
 安堵の溜息をこぼしたユンは、すっとクリスに近づいた。
「ユン?」
 額と額が触れそうな、距離。
 息遣いや、お互いの考えさえも映し出しそうな距離で、ユンはじっと菫の瞳を覗き込む。透明に輝く瞳に、自分の姿が映りこんで、さらに……合わせ鏡のように、深く深く映る。
 ……そんな風に、届けばいい。
「わたしからクリスさんへの、最後の贈物です。……貴女に、水の精霊の加護がありますように」
 途惑ったように動かない、クリスの白磁の頬、その左へとそっと口付ける。
「高潔なる騎士クリス・ライトフェローに、大地の精霊の加護がありますように」
 突然の硬直しているのか、石像のように身動き一つしないクリスの右の頬へ、今度はそっと口付ける。
「我が親愛なる友、クリス・ライトフェローとともに、いつまでも風の精霊の恵みがありますように」
 銀の髪に覆われた広い額に、少し背を伸ばして口付けをひとつ。
 そして。
「我が愛しき人、クリスに……我が力及ぶ限りの、全ての精霊の加護を……貴女に……」
 驚きのあまり、薄く開かれた桜色の唇に。
 ユンは深く深く口付けを落した。
(どうか)
 悲しまないで。わたしはいつでも、貴女の傍に居る。貴女がわたしを覚えていてくれる限り。誰よりも、何よりも、貴女の傍で見守るから。
「ゆ、ゆゆゆゆ、ユンッッ!?」
「わたしが、クリスさんを好きって言う気持ちですよ。……邪魔、でしたか?」
「ちがっ、そ、そうじゃなくて、い、今のはっ…」
「わたしから、クリスさんへのおまじない。……グラスランドのおまじないなんて、迷惑でしたか?」
「違う、……いや、いい。ありがとう、ユン」
 なんとか言葉を紡ごうとして、結局クリスは微苦笑とともに礼を述べる。純粋で、人の好意を疑いきれない彼女の未来と、おそらく苦労するであろう幾人かの男性に、僅かにユンは苦笑する。
 ふっと、風が揺らいだ。
「……ユン、時間だ」
「はい。…クリスさん、……また、ね」
「……ユン……」
 時間を断ち切りにきたユイリに、あっさりと頷いて、ユンは立ち上がった。祠へ向くとまっすぐに中に入る。振り返りは、しなかった。
 卑怯かもしれない。
 けれど、貴女はきっと、忘れないでしょう。僅かな一時を過ごした森の民を。
 貴女の記憶の中で、わたしは永遠を生きる…それもひとつの、愛のカタチ。

(クリスさん……大好き)

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