ビュッデヒュッケ城の薄暗い通路を通って、ヒューゴは足取り重く、与えられた自室へと戻った。『炎の英雄』の意志を継いで、押し寄せてきたハルモニアの 軍勢を退けたばかりの少年の住む部屋にしては、城に突っ込んだ船の中、という場所はあまりふさわしくないだろう。城主であるトーマスも、何度も自分の部屋 をヒューゴに提供しようとしたが、そのたびにヒューゴは断ってきたのだ。
石造りの城の、石に囲まれた部屋。そんな冷たい場所で寝起きをするぐらいなら、湖の中に張り出した、木の船の中のほうが幾分マシだろう。
城の中ではまだ祝勝会が続いているはずだ。ルシアやビッチャムといったカラヤ族の戦士はみな酒が強いし、何よりも今夜は新たな英雄を迎え、大国の軍勢を退けたのである。
飲めや歌えやの大騒ぎになっても不思議ではない。
ヒューゴ自身、したたかに飲まされて、今ようやくふらふらとした足取りで部屋に戻ってきたのだ。
「……」
どさり、と敷布の上に倒れこむ。
脳裏に浮かぶのは、鮮やかな……銀。
親友の仇。故郷を焼き払った張本人。
それでいて、チシャの村を救い、今また自分に力を貸すと明言し実行した。
ゼクセン騎士団の力がなければ……自分たちだけでは、ハルモニアの軍勢は追い払えなかっただろう。
それは、分かる。解っていても……解っているからこそ、もどかしさと苛立ちが募る。
「……あんなヤツ……」
親友の仇に力を借りねばならない、小さな自分に。
命を奪おうとするのなら、奪われることも覚悟しておかねばならない……それが戦争というものなのだ、などという軍曹に。
そして、何よりも。
「……あんなヤツ、嫌いだ……!」
やり場のない怒りをぶつけるように、左のこぶしで強く床を叩く。
何度も。何度も。
「クリスさん、なんて、大嫌いだ……!」
戦場でのことを、謝罪はしないという彼女に。
そのくせ、決してこちらを正面から見ようとせず、必ず視線を逸らす、矛盾した態度をとる彼女に。
「クリスさんなんて……クリスさんなんて……!!」
酔いの勢いに任せて、血がにじんでも叩き続ける。体中の全ての感情を搾り出すように。
「……大っ嫌いだ!!」
ずるいではないか。
口では「謝罪しない」と言いながら、態度では許しを請うような弱さを見せて。戦場でのことと突っぱねるのならば、どこまでも憎らしいほどに堂々としていればよいのだ。赦しを請うのなら、最初から跪き許してくれと言えばよいではないか。
グラスランドの敵「鉄頭」の顔も、歴史も、性格も、何もかもを知らずにただ漠然と憎んでいれれば楽だったのに。
揺れ惑う生身の姿を晒して。
……けれど、一番嫌いなのは。
「……クリス、さん……」
親友の仇と憎みながら、それでもまっすぐに自分を見て欲しいと願う醜い心。
喪われた親友を忘れないためにも、憎み続けなければならないというのに、ふとした拍子に捜し求めてしまう己の瞳。
抉り出せればどれほど良いか。
けれど、それすらも出来ないほどに、囚われているから。
「……クリスさん……」
愛憎どちらともつかないほどに強く絡みつく感情の糸を解けぬままに、呟かれたその言葉は。
夜空しか、知らない。
コメントを表示する