かわいい彼女

「うわぁ、キレイだねえ♪」
「…そうだね」
 表情を曇らせるヒューゴの隣で、クリスは楽しそうにはしゃいでいる。
 どこまでも広がる青い青い空の下に、同じように果てなく広がる緑の草原。アムル平原を渡る風も、きらりきらりと暖かい熱を届けてくれる光もひどく心地よくて、ヒューゴの軽いパニックを収めるには十分すぎるほど優しかった。
 別に、あせることはなかったのだ。ボルスとパーシヴァルはクリスの腹心の部下である。ゼクセンとグラスランドの心をひとつにまとめ、ハルモニアに当た る、と考えているクリスに背くような振る舞いをするわけが無い。あの時、苦笑いでもしながら「エステラさんの魔法で小さくなったみたいなんですよ」とでも 言っておけば、ふたりは納得したに違いない。
 だが、そのときはそういう選択肢がちらとも思い浮かばなかった。ただ、隠さなければ、と思った。
 なぜ…?
「ヒューゴお兄ちゃんは楽しくないの?」
「え、あ、そんなことはないよ」
「ホントに~?」
「…本当だよ」
 ぱたぱたと走り回る音が消えたかと思うと、突然クリスが少し首をかしげながら覗き込んできた。至近距離で見つめ返した、まっすぐな紫水晶の瞳がどこまでも自分の嘘を見抜いて貫くように感じられて、少し辛い。
 嘘が、つけなくなってしまう。
 今ならば、ゼクセンの騎士たちがクリスを指して「女神ロアの現し身」とひそかに呼ぶのも解る。曇りの無い瞳に宿ったまっすぐな眼差しは、密かに蓋をした心の深遠まで届き、隠していた罪の意識を引きずり出すように思えてしまう。
 それでも。
(他のヒトに、見せたくなかった)
 宝物をしまいこむような、子供じみた独占欲。
 こういうときに思い知らされるのだ。いくら『英雄』の意志を継ごうとも、『英雄』と呼ばれようとも…まだまだ未熟な子供に過ぎないのだ、と。
 どうすれば、もっと大人になれるのだろう。護りたいひとやものを護り通せるだけの力と、何物にも惑わされることのない、揺るぎのない意志とを持つ、理想の『英雄』に。
「ヒューゴお兄ちゃ、………っっ!」
「クリス!?」
 不意に。
 クリスが苦しげに胸を押さえた。ぐらりとかしぐ身体をとっさに引きとめ、自分の胸にもたれかからせる。いくら柔らかい草の上とはいえ、地面に倒れこめばケガをしかねない。
「どうしたんだ!?」
「…なんでも、ないよ。ただちょっと…どくんっ、てしただけで…」
「クリス…」
 心配をさせまいと懸命に微笑を浮かべようとするクリスに、胸が痛くなる。己のことのみにとらわれていた自分が恥ずかしく、苛立ちが沸き起こった。
 そうだ、何を考えていたのだろう。自分はどれだけ背伸びをしても、まだ子供なのだ。だから理想に近づけるよう、少しずつ努力をしていくしかない。目に映るひとつひとつを、精一杯護っていくしかない。
 …そして、今は小さなクリスを護りたかった。自分を頼ってくれる彼女を。
「フーバー、ごめん、急いで!」
「キュィィィィィィィィィッ!」
 緊迫した声の調子を聞き取ったのだろう、慌ててフーバーに飛び乗ると、聡いグリフォンは鋭い鳴き声を上げて、ビュッデヒュッケ城に向かって真っ直ぐに翔けてゆく。きゅっと口元を固く結んだヒューゴはクリスを抱きかかえたまま、ただ前を見つめていた。

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