かわいい彼女

 不幸中の幸いとでも言うべきか。
 朝食のピークにはまだ早い時間帯だったためか、食堂にはほとんど人影が見当たらなかった。ぽつん、とある人影はテーブルに突っ伏して眠っているようで、これは無視してても問題は無い。
「ほら、よく噛んで」
「ん、うん」
 拙い手つきで、だが一生懸命まくまくとホットケーキにかじりつくクリスに、ヒューゴは思わず目を細めた。いつもジョー軍曹に弟扱いされているだけに、こうして逆にお兄さんぶれるのが少し嬉しい。まぁ、相手が小さなクリスというのが、いささか複雑だけれど。
 サロメとシーザー、ルイスは姿を消した大きいほうのクリスのアリバイ作りのため、ここにはいない。また新しく別の人間に事情を話して様子を見てもらうのも躊躇われて、現在ヒューゴが子守を買ってでたのである。
 本当ならば、そんなふうにゆったりと過ごせる時間など、あるはずがない。だが、今まで休みらしい休みがなかったことと、意見を交し合うべきクリスが小さくなってしまったことから、シーザーが「ついでだから暫く休みにしとけば」などと言ったのだ。
「ねえねえ、ここってどこなの?」
「ビュッデヒュッケ城っていうんだけど…そういえばクリス、目が覚めたとき知らないヒトばっかりだったのに泣いたりはしなかったんだな」
 8歳の少女が、目が覚めたらぜんぜん見知らぬ土地にいたわけである。普通ならば両親を恋しがって泣き喚いてもおかしくはないのだが、クリスはあっさりと状況を受け入れた。
 豪胆というか柔軟というか…とにかく、小さい頃から強い子だったんだな、と思う。
 腕が、とか体力が、とかではなく…心がしなやかなのだろう。
 ヒューゴとしては誉め言葉のつもりで言ったのだが、それを聴いたクリスの表情は僅かに曇った。
「クリス?」
「…だって、パパ、も…ママ、もいないから。だからね…じいが、知らないところへ連れてきてくれてのかなぁって思ってたの」
 じくり、と胸が痛んだ。
 詳しい事情は聞いていないが、この少女はきっと幼いころから孤独だったのだろう。自分にも父親はいなかったけれど、それでもルシアがいた。アイラだってルルだっていたし…それに、ジンバもいた。
 今はもう居ないヒト。兄のように慕っていた…クリスの父親。
 自分のせいではないのだけれど、クリスからワイアット…ジンバの時間を奪っていたようにも思えて、少し後ろめたくなる。
 表情が沈んだヒューゴを察したのだろう、クリスが精一杯の笑顔を向けてくれた。
「でもね、それだけじゃないんだよ。なんか見たことがあるような気がしたの。お兄ちゃんも…他のおじちゃんたちもなんだけど。ぜんぜん怖くない人だよってわかったの」
「ふうん…じゃあ、意外と記憶は残ってるのかな?」
「よくわかんないけど…」
 ヒューゴの言葉に、クリスは曖昧に首をひねる。それはそうだろう、8歳の少女に、残っているかどうか定かではない記憶の話をしても難しくて理解しがたいに違いない。
 ちらり、と目の前のクリスに視線をやる。
 …確かに、かわいい。大人のクリスはどこか硬質で、水晶の像に命が宿っているような印象を受けたものだったが、幼い頃のクリスは天真爛漫で、本当に可愛 らしいのだ。こんな少女をギョームに見せでもしたら、まず間違いなく追い掛け回されるだろう。鎧姿でもなく、旅姿でもなく、年の近いアラニスの服を借りて 着ている小さなクリスは、文句なしの美少女だった。
 鑑定屋のほうには近寄らないでおくとして…さて、これからどうしたものか。
 ぺったぺった、と近づく暢気な足音に、ヒューゴは考え込んでいた意識を前に向けた。いつの間に近づいたのやら、保護者とも言えるジョー軍曹が片羽(?)を軽く振っている。
「よう、ヒューゴ、早いな。………ところで、そのちびさんはなんだ?」
「あ、えっと、その…」
「ちびさんじゃないよ、アヒルさん。クリスだよ」
「………『クリス』…?」
 ヒューゴが言い訳を考えている間に、小さなクリスが胸を張って答える。その言葉に眉をひそめたジョー軍曹は、暫くしてああ、と頷いた。
「もしかしてお前さん、クリス・ライトフェローか」
「そうだよ。アヒルさんは?」
「なかなか利発なお嬢さんだな。俺はジョルディだ」
「ジョルディさんはヒューゴお兄ちゃんのお友達なの?」
「まぁな。保護者とも言えるが…」
「『ほごしゃ』ってなぁに?」
「そうだな、ヒューゴのお兄さんみたいなもんだ俺は」
「ふうん…お兄ちゃんのお兄ちゃんなんだ。すごいねっ」
「………………………ジョー軍曹…?」
 異様な事態にもかかわらず、平然と会話できる軍曹はすごいかもしれない。大体なんでこれで『クリス・ライトフェロー』だと認識できるのか。
 ……まぁ、誰がどう見ても『クリスの小さい頃の姿』にしか見えないからだろうけれど。
 困惑した表情で2人(?)を眺めるヒューゴに、ジョー軍曹はくっ、と喉の奥で小さく笑った。
「若い軍師さんとあまり若くないゼクセンの軍師が額を寄せて集まってたし、何よりお付の少年が血相変えて走り回っていたしで、何かあるんだろうとは思っていたんだ。それに、さっきからゼクセンの騎士連中がクリスを探してうろうろしてたぞ。…ほら、噂をすれば何とやらだな」
 ばさっと片羽が示す先には、ゼクセン騎士の中でも有名な『誉れ高き6騎士』の中のひとり、パーシヴァルと、同じくボルスとが何やら軽く言い争いをしながら歩いてくるのが見えた。
 以前は『グラスランドの敵』『鉄頭』としか見ていなかったゼクセンの騎士たちが、実はそれぞれの人生を歩んできたひとりの人間なのだ、と認識しはじめた のもつい最近のことである。だが、そのゼクセン人の中でも特に『誉れ高き6騎士』はいろんな意味においても個性豊かで、強烈に印象を塗り替えられてしまっ た。
 『クリス様ファンクラブ』とはクリスに憧れるセシルの命名によるものだが、その熱烈さはもはやファンクラブすら乗り越えて、親衛隊の域にまで達しているのではないかとも思える。なんというか、命がけで足を引っ張り合っているような雰囲気が、外から覗えるのだ。
 …それはさておき。
 これはマズイ。このふたりに小さなクリスの姿が見つかったら、どれほどの大騒ぎになるか。最悪の場合、ヒューゴが原因なのではないかと疑われ、再びグラ スランドとゼクセンの間に不信感が芽生えるかもしれない。いや、あるいは2人はチャンスとばかりに、小さな貴婦人に対するかのようにクリスに己を売り込 み、人目を思いっきり惹いてしまうかもしれない。こっちのほうが遥かに可能性が高そうだが。
 立派な騎士たちにかしづかれる姫君=クリス。
 なんとなくその想像は、ヒューゴの感情をささくれ立たせた。
 ホットケーキを食べ終わり、両手でグラスを支えてオレンジジュースを飲んでいるクリスの耳に、精一杯の何気なさを装って、そっと囁く。
「そろそろ、お散歩に行こうか?」
「うんっ」
 元気良く頷いたクリスが、ぴょこんと椅子から飛び降りる。それを見送ったヒューゴの視界の端で、ジョー軍曹がくつくつと喉の奥で笑っているのが見えた。思わず憮然としてにらむ。
「…なにかおかしい?」
「いや、こちらの話だ気にするな」
 あっさりと大人の余裕でジョー軍曹が言い切るのに、ますます表情が渋くなる。これ以上は何を言ったところで無駄と悟ったヒューゴは、クリスに呼びかけよ うとして…止まった。この距離では名を呼べばパーシヴァルたちにまで聞こえてしまう。なにしろ、クリスが好むらしいという出所の怪しい噂一つで果物を買い 占めてしまうぐらいの熱狂的ファンである。まるで主人の声に反応する犬(と呆れて言ったのは確か母ルシアである)のように、クリスの名前に反応することは 間違いない。
「ほら、行こうか」
「はぁい」
「気をつけてな、ヒューゴ」
 ジョー軍曹に見送られ、きゅっと仲良く手をつないで歩き出そうとしたとき。
 パーシヴァルの鋭く探るような視線と絡まった。
(…あ、やばい…!)
 反射的に硬直してしまったその間に、がちゃがちゃと鎧の音をさせてパーシヴァルが駆け寄ってきた。一見温厚で冷静な視線がヒューゴの上をかすめ、小さなクリスに注がれる。
「おはようございます、ヒューゴどの」
「……え、と。おはようございます、パーシヴァルさん」
 静かな圧力に気おされて、思わず詰まりながら挨拶を返す。その間もパーシヴァルの視線は隣に立つ小さなクリスから離れることは無い。
「パーシヴァル、いきなり走り出したから驚いたぞ!」
「ああ、それはすまないな」
 遅れて現れたボルスの文句をさらりと受け流すパーシヴァルは、まだ小さなクリスを見つめたままである。気まずそうに立ちすくむヒューゴとパーシヴァル と、遅れて現れたボルスとを交互に見つめて、小さなクリスはきょとん、と首をかしげた。それほど異様な空気が漂っていたのだ。
「ヒューゴどの」
「え、なに?」
「こちらの小さなレディはわたしたちに紹介してくださらないのですか?」
「あ、いや、その…」
 ようやくクリスから視線を外して、パーシヴァルはにっこりと笑うとヒューゴに問いかけてきた。その瞳がちっとも笑みを含んでいないのがやけに不気味であ る。手段を選ばなさそうな人ランキングでトップ3に入るらしい、という噂も納得できる。誰が言い出したのかは知らないが。
 きゅ、と小さなクリスとつないだほうの手が引っ張られた。
「なに?」
「ヒューゴお兄ちゃん、あのヒトたち騎士様なの? すごいねぇお兄ちゃん、お友達いっぱいだねっ」
 瞳をきらきらと輝かせて、嬉しそうに、楽しそうに高く澄んだソプラノを響かせるクリスの姿は、ものすごくかわいらしい。目を細めて眺めていたボルスがふと、ぱちぱちと瞬きをした。
「突然で不躾だが、もしかしてクリス様のご親戚か何かなのか? どことなく面影があるのだが…」
 面影があるも何も、ずばり本人なのです、とは言いにくい。だらだらと冷や汗が背中を伝う。
「…ヒューゴどの?」
「なにやら顔色が悪いが、大丈夫か?」
 ふたりそろって顔を覗き込まれて、とうとうヒューゴは叫んだ。
「ごめんなさいっ、オレ用事があるからッ! …フーバー!」
 ピィィッ! と鋭く指笛が吹き鳴らされる。瞬く間にばさりと風を巻き起こして大きな有翼の獣…フーバーがヒューゴの目の前に現れる。
「乗って!」
「キュィィィィィィィィィィッッッ!!」
 飛び乗り、クリスを引っ張り上げた刹那、大きな鳴き声をひとつ残してフーバーは勢い良く大空へと飛び上がったのだった。

 一方、残された誉れ高き騎士たちとダッククラン有数の戦士は。
「……ジョルディどの、ヒューゴどのはどうされたのだ一体?」
「もしかすると、クリス様によく似たあの少女に関係あるのではありませんか?」
「さぁな、あいつもまだ子供だからな」
「何か我々に隠しているのではないのか、ジョルディどの!!」
 何かにつけ頭に血の上りやすいボルスが大声で叫ぶ。だがそれに気おされた風もなく、ジョー軍曹はばさばさと片羽を振って見せた。
「俺は何も知らんが、どうせ子供の隠し事さ。それよりもお二方、そろそろレストランに向かわないと朝食を食いっぱぐれるんじゃないのか?」
 内心の苦笑を押し隠して、ジョー軍曹は悠然とそう言ってのけたのだった。

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