歌声よ、響け

 どうしても今日会いたい、とクリスから手紙をもらったとき、ヒューゴは素直に喜んだ。何しろ相手はゼクセンの戦女神、こちらはカラヤの<炎の英雄>と来ている。住んでいるところは離れているし、互いの立場ゆえにそう気軽に会うこともできない。ビュッデヒュッケ城に居たころは当たり前のように毎日顔を合わし、一緒に食事を取り、共に戦っていただけに、離れると余計に横たわる距離が重く感じられるのだ。
 ヒューゴとしては、ほとんど毎日のように会いたいし、クリスさえ良いのであれば毎日フーバーに乗ってブラス城まで行っても良かったのだが、クリスはそれを柔らかく拒絶した。互いに忙しいだろうという理由に加え、五行の紋章戦争で幾許かの溝が埋まったとはいえ、全ての人々が和解したわけではない以上、訪れるヒューゴが不愉快な思いをしないとも限らない、というのが理由だった。
 そんなわけで、一月に一度ほどヒューゴがゼクセンを訪れるほかは、互いを結ぶものは頻繁に交わされる手紙しかなく、ヒューゴにとっては随分と物足りないものだった。しかも、いつも会いたいと切り出すのはヒューゴのほうで、空回りしているような気さえしていたのだ。もちろん、クリスにしてみれば、カラヤを焼いた身でありながらカラヤを訪れるというのは随分と気まずいものだろうから、「会いに行きたい」といえないのも仕方のないことかもしれない。
 そのクリスが、初めて自分から誘ってくれた。その事実はヒューゴを有頂天にさせたし、指折り数えてその日を待った。
 ………の、だが。
「…クリスさん!?」
 待ち合わせにとクリスが指定したのは、カラヤクランにほど近い、なだらかな丘の上で。約束の時間よりも早めに訪れた自分よりも先に居たクリスに、ヒューゴはすっとんきょうな声を上げた。
「ていうか、なんで寝転んでいるの?」
「ヒューゴもやってみろ。気持ちいいぞ」
「…や、それは知ってるけど」
 草原で寝転ぶ気持ちよさなど、クリスよりも自分のほうがはるかに知っている。第一、こうやって大地の上に思いっきり手足を伸ばして空を見上げることをクリスに教えたのは、ヒューゴ自身なのだ。
 なんだかかみ合わない会話に首を傾げつつ、クリスの隣に腰を下ろした。どこか茫洋とした眼差しを天に向けているクリスにならって、ごろんと寝転ぶ。
「…………クリスさん?」
「…うん」
 どうしたの、という言葉がのど元まで出掛かったが、ヒューゴはそれを飲み込んだ。クリスの様子は確かにいつもとまったく違うけれども、それが自分が踏み込んでいいものかどうかはわからない。仕事で疲れているのか、それとも違う何かで考え込んでいるのか。
 わからないけれども、多分、自分が切り出さなければクリスは夕方までずっとこうしているのかもしれない。二人並んでいられるのであれば、それはそれで良いとも思うが…クリスの意識が明らかにこちらに向いていないというのは、やはり寂しい気もする。
 どうしたの、と聞けばきっとなんでもないと答えるだろうから。別の方向から探りを入れてみる。
「何か、俺に用事だった? 俺にできることがあれば何でもやるよ?」
「……………うたを」
 ぽつりと零された言葉は、ヒューゴの意表をつくものだった。僅かに目を見張るヒューゴに、相変わらずここではないどこかを見つめたまま、クリスが小さく呟く。
「うたを、歌って欲しいんだ。弔いの歌を」
「………………ああ」
 そういえば、と思い出す。
 氷に閉ざされた遺跡で喪われたひと。ヒューゴにとっては頼もしい兄貴分であり…クリスにとっては、探していた父親だった。
(あれからもう、1年が経ってるんだ…)
 カラヤでは死者は大地にかえる。そして、いつでもそこに居る。どれだけの年月が経とうが、死者は精霊となって大地から子供たちを見守っている。そこに月日の区切りはあまり、意味は無い。
 けれど、ゼクセンではきっと、違うのだろう。
「わたしが歌えればいいんだが…わたしは、歌が下手だから」
「…あー」
 確かに、と同意するのも気が引けて、曖昧に唸る。とはいえ、言外に滲んだ思いはクリスに伝わったらしく、ほのかに苦笑する気配がした。
「だから、ヒューゴにお願いしたいんだ」
「ん、わかった」
 デートでないのは少し残念だけれども、頼られるのは嬉しい。何より、他でもない「自分に」頼ってくれたのが嬉しかった。不謹慎だけれども、彼女の思い出に関われて良かったとも思う。
 そっと双眸を閉ざして、胸いっぱいに空気を吸い込む。
 少年らしい澄んだ声で歌われるのは、魂を空と大地にかえす歌で、カラヤに伝わるものだ。本当はゼクセンの歌のほうがいいかもしれないけれども、ヒューゴは知らない。けれど、きっと心は伝わるはずだから。
「父様…」
 濡れた響きの呟きが零れ落ちるが、ヒューゴはクリスのほうに振り向かなかった。固く目を閉じて、祈るように朗々と歌を紡ぐ。クリスの痛みが少しでも癒えればいいと、それだけを願って。

死者のためのうたを、生きてるもののために、ヒューゴは歌い続けた。

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