(あ)
いらっ、と空気が歪むのがわかった。邪魔にならないようこっそりと隣を見上げると、案の定そこにはとてつもなく険しい表情がある。全身から苛立ちとも殺気ともつかない気配を漂わせながら、彼女がぎゅ、と手に力を入れる。本来ならばみしりとも揺らがないはずのそれが、何故か一回り小さくなったように見えて、ヒューゴは慌てて制止の声をかけた。
「クリスさん」
「……なんだ」
眉間にくっきりと皺を刻んで、クリスがこちらを見下ろす。その拍子に、クリスの手からほんの少しだけ力が抜けたのを確認して、こっそり胸をなでおろす。いくら今日のメニューがシチューだからといって、握りつぶされてしまったジャガイモを入れるのは…味に変わりはないはずだと思っても、やはり少し気が引ける。
ひょいとクリスの手から件のジャガイモを取り上げる。
「あのねクリスさん、これはこういう風にすれば…」
「……わかった。次からはそうしてみる」
丁寧に5度目の説明をしながら実演して見せると、クリスは生真面目な面持ちで頷いた。トラブルが解決されたジャガイモを受け取り、一心不乱に続きに取り組む。決して記憶力が悪いわけではなく、むしろ戦闘や戦争に関する事柄は恐ろしいほど早く飲み込み、要領よくこなすクリスだが、何事にも例外はあるらしい。一生懸命さとは裏腹に、ちっとも上達のあとが見られない、剥かれたじゃがいもの集まりを見て、ヒューゴはちらりと笑った。
年上で、何事につけて『格好いい』クリス。そんな彼女に教えてあげることのできるものなど、そうそう無い。クリスのあまりの要領の悪さに短気なルシアがさじを投げ、その代役としてルシアに指名されたという事情があるにしろ…それでもやっぱり、『自分が』隣で教えてあげるというのはうれしい。
(また、教えてあげたいな)
同じ刃物でも、剣と違い包丁の扱い方が致命的に下手な、クリスの不器用さに今だけは少し感謝する。きっとこの1回だけでは覚えきれないだろうし、また次料理するときも、もしかしたら自分を頼ってくれるかもしれない。それに…こうして時間をかけてゆっくり、根気良く料理を教えていくのも、悪くは無い。それだけ長い時間、隣に立つ口実があるということだから。
「できたぞ!」
「お疲れ様」
悪戦苦闘の末、半分の大きさになってしまったジャガイモを受け取って、かわりにまだ剥いていないジャガイモを手渡す。
「じゃがいもは、これで最後だから」
「わかった」
シチューが出来上がったのは、それから3時間後のことだった。
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