たとえばそのしなやかだけど力強い所作だとか。
たとえばその毅然とした後姿とか。
俺がどれほどその誇り高い在り方に憧れているか、知らないだろうけれど。
はぁ、とついた溜息が予想以上に重く響いて、ヒューゴはあわてて口元を引き締めた。誰がどこで見ているか分からない以上、迂闊な行動は慎まなければならない。
ハルモニアに抗するゼクセン・グラスランド連合。50年前に現れ、また今回もハルモニアに対して立ち上がった『炎の英雄』を継ぐ者としては、私室以外の 場所では弱いところなど見せては士気に関わるらしい。ヒューゴ自身はそんなものだろうか、と思った程度だが、軍師であるシーザーが『英雄』を見る人々の視 線というものを、切々と教えてくれた。そして、教えてくれた以上それを演じきる責務が、ヒューゴの上にのしかかったわけである。もちろん、果たしきること ができるかどうか、ヒューゴ自身にも分からないことだけれども。
右手に紙きれを握り締め、早足でビュッデヒュッケ城の中を歩き回りながら、ヒューゴは目的の人物を探して視線をさまよわせる。あちこちふらつきまわる人物が多い中、目的の人物は得体が知れないものの居場所は一定しているため、目的地にて容易に発見することはできた。
城に設置された劇場の中、誰かと立ち話しているらしいひとに、大声で呼びかける。
「ナディール!」
「…おや、これはヒューゴさん?」
「あのさ、悪いんだけど、これのことで…、…!」
ばしばしとと右手の紙きれを叩きつけるようにしながら募った言葉が、隣の人物に気づいたとたん不自然にぶっちぎれた。
上から紫水晶の瞳で真っ直ぐに射抜かれる。
「どうかしたのか?」
「え、いや、その、ちょっとした手違いがあったみたいで…」
「…ふむ」
要領を得ないヒューゴの説明に、当然のごとくクリスは僅かに首を傾げた。仮面で素顔を隠した劇場支配人が、握りつぶされてしわくちゃになってしまった紙を受け取り、丁寧に広げる。
「今度の劇の配役ですよ。演目は『ロミオとジュリエット』ですが」
「ほう。ヒューゴも出るのか。期待しているぞ」
「俺はやらないよ!!」
珍しく強い調子できっぱりと、即座にヒューゴが否定した。演劇は初めてながら、生来の性格からか伸びやかな演技で評判も良く、またヒューゴ自身演技を楽しんでいたのだが、今回は別である。
劇の内容がどうこう以前に、配役に問題があるのだ。
「なんでこんな配役なんだよ! 絶対にやらないからね!」
「まあそう仰らず。楽しみにしておられるお客様が大勢おられるのですよ」
「ダメ、絶対イヤだ、断固として俺は拒否する! 説得しようとしても無駄だからね!」
「…そうですか。残念ですが…仕方ないですね。わかりました、別の人を探しておきますね」
徹底したヒューゴの否定っぷりに好奇心を刺激されたのか、クリスがナディールの手元を覗き込んだ。
「どんな配役になっているんだ?」
「いえ、たまにはこういう配役も面白いかと思ったのですが。また練り直さねばなりませんね」
軽く嘆息しながら簡潔に答えたナディールが、皺だらけの紙をクリスに手渡す。ちらりと視線を走らせたクリスは、次の瞬間くくっ、と笑いを堪えるように喉を振るわせた。
「確かにコレは…ヒューゴが怒るのも無理はないな。ロミオ役なら分かるが」
兵士やばあやといった脇役はまあさておくとしても。ロミオ役にパーシヴァルというのはまだしも。
栄えあるジュリエット役に選ばれたのが、誰あろう『炎の英雄』その人となれば…当人から抗議のひとつやふたつ出るのも当然だろう。
「諦めたほうが賢明だな、ナディール」
くすりと楽しげな微笑を浮かべて、クリスが流れるような仕草ですらりと腕を組む。高貴ささえ漂わせる滑らかな動作に、ヒューゴは複雑な視線を向ける。
それは決して、自分には備わっていないものだ。彼女は自分には見出せない光を幾つも放っている。
真っ直ぐに伸びた背筋。敵を屠るときですら美しさを損なわぬ、洗練された所作。
ドレス姿のクリスもきっと美しいだろうが、きっとそれよりも結い上げた髪を例えば一つに束ね、剣を腰に下げるのもいいかもしれない。
愛する人のために苦難を乗り越えようとする、ロミオのように。
「いいなぁ…」
「…どうしたんだヒューゴ?」
思わずぽつりと零してしまった言葉に、真正面から問いかけられ、ヒューゴは逆にあわてた。何を閃いたものやら、不思議そうに見ていたクリスの表情が、不意に悪戯っぽいものに変わる。
「なんだ? 実はちょっぴりジュリエット役もやってみたかったのか?」
「…ちっ、違うよっ、ただ俺は、その……まぁいろいろ考えてただけで、ジュリエットをやりたいとかそんなんじゃなくて…」
まさかクリスを目の前にして「あなたの男装した姿を想像してました」とは言えるはずもなく、ヒューゴは慌てて反論する。しどろもどろの言葉だったが、別段クリスは気にしなかったようだった。こういうとき、色々と鈍いクリスに感謝したくなる。
「そうか」
「そうだよっ」
微かに頬を赤く染め、こくこくと力いっぱい頷くヒューゴの髪を、クリスがふわりと柔らかく撫でる。さらりと髪に触れられる感触に、一瞬硬直してしまった少年に向けて、クリスは笑顔のまま爆弾発言を投げ込んだ。
「そうか。私はてっきり…いや、違うのならいいんだ。けれど…そうだな、ヒューゴのジュリエットも見てみたかったかもな」
後日、クリスの希望を聞き入れて女装をするべきか、あるいはジュリエット役はしないという当初の志を貫徹するべきか、苦悩するヒューゴの姿が見受けられたという。
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