Blessing

主人公はクリス様大好きな女の子です。

ヒューゴ×クリス前提です。

それでもよろしければどうぞ

 

 

 

 

 

 今日は聖夜。遠い遠い昔、女神ロアがゼクセンにひとりの聖人を遣わしてくださった日なのだそうです。昔は厳粛に聖誕祭を行い、聖堂で女神と聖人へ 慈悲を感謝していたそうですが…今はもう、お祭りといった感じになっています。ビネ・デル・ゼクセでは家々を綺麗に飾りつけて、大通りにはたくさんの露店 が軒を並べ、様々な催しが広場で行われるんですよ。毎年最後に大きな花火が打ち上げられて、幼かったわたしは口をあんぐり開けてみていたものでした。今年 は見られそうにもありませんが。
 わたしが勤めるブラス城でも、もちろん規模はビネ・デル・ゼクセにかないませんが、それでも準備に余念がない状況です。ゼクセンとグラスランドの間に位 置し、常に緊張状態に置かれていたブラス城ではありますが、今年は大きな戦を経てグラスランドと和解したこともあり、かつてない盛大さで聖夜のお祭りを行 うことになりました。さすがにビネ・デル・ゼクセのように花火を打ち上げたりはしませんが、お城の中央の広場に机をたくさん並べて、お食事やお酒を楽しみ ながら夜通し騒ぐことになったんです。
 わたしもつい最近知ったのですが、お祭りというものは、参加するのは簡単でも、準備するのはとてつもなく大変なんですよね。もちろん、いろいろと騎士様 がたにも手伝ってもらっているのですが、何しろやることが多いですから。数日前からお花と常緑樹の葉で飾りつけたり、いろんなところにリボンを巻きつけた り。灰色一色だったお城が綺麗に鮮やかになっていく様は見ていても楽しいのですが、忙しいからといって日ごろのお仕事であるお掃除やお洗濯、ベッドメイク などを放っておくわけにもいかず、このごろは慌しいというよりも殺気立ってきている、といった風になってきています。今年の春からこのお城に勤めるように なったわたしも、できるだけ先輩方と同じように働いているんですけども、やはりブラス城ですごす初めての聖夜ですから。あまり勝手がわからないこともあ り、できるだけ邪魔にならないように雑用をせっせとこなしています。
 そんなわけで、今も両手にお皿をかかえて、厨房から広場に向かっているんですけど…廊下の真ん中に、しょんぼりと所在なげに立ち尽くしている人影を見かけて、そんな暇は無いはずなのに、わたしはふと足を止めてしまいました。
「どうなさったんですか?」
「…あ、ああ… アリア か」
 困ったような微笑を浮かべて答えたのは、この城を統べる騎士団長クリス様でした。騎士団長というと筋骨隆々でいかにも野暮ったい方を連想されるかもしれ ませんが、クリス様はそんな想像とはまったく違います。丁寧に編んだ髪は綺麗な銀色(実はクリス様の髪を毎日編むのは、不肖このわたしのお仕事でもあるの です。見た目通り本当にさらさらとしていて、いためないよう毎日気合を入れて梳り、編ませていただいています)で、きりりとしたお姿は本当に凛々しく、去 年ビネ・デル・ゼクセで見たお芝居の女騎士なんか比べ物になりません。一番人気の女優との触れ込みだったし、そのときは確かに綺麗で格好よく見えたんです けど…クリス様を見た後で思い返してみると、ぜんぜんたいしたことないように思えます。
 ブラス城にも格好いい騎士様は大勢居られますが、やはりクリス様に敵う方は居られないとわたしは思うのです。けれども、そう思う人はわたし以外にも大勢 居るようでして…クリス様が騎士団長になってからは、クリス様目当てでブラス城でのお仕事を希望する人が格段に増えたそうです。希望者が増えて採用が難し くなる前に、滑り込みで採用されたわたしは本当に幸運だと思います。今年一番の幸せといっても過言ではありません。その上、クリス様付きとなったのですか らもう。面接のとき、緊張のあまりクリス様にお茶をかけてしまったという失敗ですら、幸運のきっかけに思えてなりません。
 そういえばクリス様がこのブラス城を離れ、ビュッデヒュッケ城というお城に居られた頃に、お芝居に出たこともあったそうで。騎士様の数は減ったとはい え、ブラス城でのお仕事もありましたから、わたしは見に行けず本当に惜しいことをしましたが…さぞや格好よかったのでしょうね。そのことをクリス様にお話 ししたら、複雑そうな表情をして詳しく教えてくださいませんでしたが。
 …と。いけないいけない、回想に浸っている場合ではありませんでした。問題は目の前のクリス様です。
「なんだか困っていらっしゃるようですが…わたしでお手伝いできるのでしたら、何でもおっしゃって下さいませ」
「ああ、ありがとう。けど、そういうんじゃなくって…」
 途方にくれたようにぼんやりするクリス様に、わたしは内心こっそり驚きました。寝起きのとき以外は、クリス様は本当にしっかりとしていて、怒ったり驚い たりしているところを、わたしはほとんど見たことがありません。数少ない例外といえば、クリス様の秘密の恋人関連でしょうか。クリス様はずっと騎士として 過ごしてこられたせいか、恋愛に関しては本当に初心で、年上の方にこういうのもなんですが大変「かわいらしい」様子を見せてくださるのです。
「…もしかして、わたしのご用意した贈り物に何か不備でも?」
「いや、そんなことはないよ。むしろ感謝してる。 アリア が代わりに買いに行ってくれなかったら、売り切れていたと思うし」
 声をひそめて訊ねたわたしに、クリス様はほんの少しはにかむように微笑しました。よかった、じゃああの『贈り物』に問題は無かったんですね。クリス様は 何しろ有名な方ですから…クリス様が贈り物として男性用のアクセサリーを購入しようとすれば、たちまち街中の噂になってしまいます。そんなわけで、この前 お休みをいただいたときに、わたしが代わりに買いに行ったのです。若い女性向けの雑誌を見ながら(ちなみに雑誌の煽り文句は『これで彼氏をトリコにしちゃ おう! 女の子100人が選んだ『聖夜の贈り物』は?』………こういう雑誌ってどうしてこう、恥ずかしい文句が堂々と並んでいるんでしょうね)、クリス様 と考えて選んだものですし、間違いがないように雑誌にしるしをつけて握り締めて確認しながらお店で買ったものですから、クリス様の恋人がクリス様に文句で も言おうものなら、わたしが代わりにはたきで殴ってやりますよ絶対に。
 あれ、でもそうすると、何にそんなに困っているのでしょう?
 わたしが考え付かず、うーんうーんと唸っているのを見かねたのか、クリス様はちょっぴり眉尻を下げて、小さく苦笑しました。
「今夜の準備で、みな忙しそうにしているだろう?」
 はい。なにしろ今日は聖夜ですからね。もうじき新年のお祝いですけれども、それはそれ、これはこれ。日ごろ厳しい訓練に打ち込んでいる騎士様がたに、精一杯の慰めをお届けしたいというのがわれわれの考えなのです。
「それで、わたしひとり部屋でぼんやりしているのも気が引けて。何か手伝おうと思ったんだが……」
「あ」
 失礼なことではありますが、曖昧に途切れたクリス様の言葉に、わたしは思わず声を上げてしまいました。わたしが思い至ったことにクリス様も気づいたらしく、ますます困ったような笑顔になります。
 クリス様はわたしが自慢するのも筋違いですが、美しく凛々しく、ゼクセンで一番の剣士で(騎士団で一番強いのですから、ゼクセン一といっても間違いでは ないでしょう)、ほんの少し潔癖なきらいはありますが、だからといって融通の利かないわけでもなく、わたしたち城勤めの者にも大変優しく接してくださっ て、本当に非の打ち所の無い方なんですけども。
 ちょっぴり(ええ本当にちょっぴりだけですとも!)手先が不器用でいらっしゃるんですね。
「飾り付けを手伝おうと思ったらリボンを引きちぎってしまったり、つぼをひっくり返してしまったりしてね。かえって仕事を増やしてしまったけれど、部屋でおとなしくしていくのも、ね」
「そうですね」
 何しろこんなに城中が浮き立っていますから。基本的になんでも自分でやりたがるクリス様にとって、「準備が終わるまでお部屋でじっとしていてください」というのも酷かもしれませんね。
 ふうむ、と小さく頷いたわたしですが、ふと思いついて顔をあげました。多分、これなら大丈夫でしょう。
「ではクリス様、申し訳ありませんが、このお皿を中庭の広場に運んでいただけませんか?」
「なるほど。任せてくれ」
 とたんに顔を輝かせたクリス様に、腕いっぱいに抱えていたお皿をゆっくり手渡します。こんなところでつるっと手を滑らせて割ってしまったら意味がありませんから、慎重に。
 クリス様は受け取ったとたんに駆け出しそうでしたので、僭越ですけれども精一杯しかつめらしい顔を作って引き止めます。
「急がなくても結構ですから。それよりも、滑ったりぶつかったりしてお皿を割らないようにしてくださいね」
「わかったよ アリア 。大丈夫、気をつけるから。これはどこにおけばいいんだ?」
「広場に居る方に聞けば教えてくださると思いますよ。ではよろしくお願いいたします」
 ぺこりとわたしがお辞儀をすると、クリスは弾むような足取りで広場のほうに歩いていきます。部下を働かせて自分はのうのうと過ごす、なんてことができる クリス様ではありませんからね。今までの状況がよほど気に咎めていらっしゃったんでしょう。普段よりは幾分ゆっくりと歩くクリス様の後姿をめいいっぱい堪 能してから、わたしはクリス様とは逆方向…厨房へ向かって走り出しました。
 なにしろお皿はたくさん必要なのです。

 

 

「乾杯!」
 たくさんの歓声があがり、ぽん!と勢いよくお酒の栓が開けられました。薄い金色のお酒が、しゅわしゅわと弾けながら溢れていきます。夜の闇をぼんやり照 らす灯りに、お酒の雫がきらきらと輝いてとても綺麗で、わたしはうっとりと見つめました。いえ、もちろん一番綺麗なのは、乾杯の音頭をとったクリス様なん ですけども。
 掲げられたグラスに、麦酒やぶどう酒、いろんなお酒が注がれていきますが、あいにくとわたしはまだお酒が飲めませんので、テーブルの隅っこに置かれてい た林檎ジュースをグラスに注ぎました。このお城は当然、騎士様とお城に勤めるわたしたちとで構成されているのですが、お酒の飲める大人のほうが当たり前に 多いのです。わたしもあと3年経って18歳になれば、皆様と一緒にお酒を飲めるようになるんですが…今はまだ我慢です。
 それはさておいて。
 最初の乾杯のあとはもうわやくちゃです。皆様それぞれ、自由に机の上の料理をお皿に取っていくスタイルですから、親しい人と話しながらテーブルの間を動 き回っていると自然とグループがわかれるんですね。とはいえ、皆様もうひとつの家で暮らす大家族のようなものですから、グループのすぐにくっついたりわか れたり…賑やかで雑然としています。
「 アリア 、ちゃんと食べてる?」
「はいっ」
 大変ありがたいことに、わたしは一番年下ということもあり、先輩方にかわいがられていました。肉は、魚は、ちゃんと野菜も食べなさいよ、とまるで年上の お姉さまのように世話をやいてくださる先輩方に、わたしは本当に感謝しています。感謝していますが…ちらちらと視線が動いてしまって注意がおろそかになっ てしまうのは本当に仕方のないことなのです。
「… アリア 、口の周りがソースで汚れてるわよ。余所見してるから」
「あう、すみません」
「仕方ないわよ、クリス様はお忙しいから。あきらめなさいな」
「はい…」
 わたしがどこを見ているのか察して、苦笑しながら注意してくださった先輩に、わたしはちょっとだけしょんぼりと答えました。
 大好きで憧れのクリス様と、できれば一緒にお話ししながらお食事したいのですが…あいにくとクリス様はとても人気が高いのです。入れ代わり立ち代わり、 たくさんの方々がクリス様の周りを取り囲んでいますので、わたしの入る隙間はこれっぽっちもありません。それでもわたしは、毎朝クリス様にお会いできるの ですから、他の方よりも恵まれているのです。明日になればまた、クリス様を起こして髪を梳いてさしあげることができるのですから、これぐらいは我慢しなけ ればなりませんね。去年の今頃は、ごくごく稀にビネ・デル・ゼクセでお姿を遠くから拝見するだけで幸せでしたが…思えばわたしもずいぶんと贅沢になったも のです。
 最初にたくさん運び込んだ料理やお酒も、時計の針が進むたびに減っていきます。騎士様がたのほとんどが良く食べ、良く飲むのですから尚更といえば尚更でしょうか。見る見るうちに小さくなっていくお料理の山に、先輩がたは顔を見合わせて苦笑しました。
「手伝ってくれるかしら、 アリア ?」
「はいっ」
 今朝お世話をしたときに、クリス様は「今夜は アリア たちもゆっくり、楽しんでほしい」とおっしゃってくださいましたし、実際わたしたちも楽しんでいましたが、職業意識のなせるわざとでもいいましょうか、や はりこういうところは気になるのです。自分たちの取り皿は他の方に預けて、先輩と手分けして空になったお皿を回収します。そのお皿を厨房に運び込むと、今 度は用意されていた山盛りのお料理皿を、広場へと運びました。しばらくしてまた別のお皿が空になっていくと、今度は別の方がお皿を回収して運んで、空に なったお酒の瓶を集めて新しいお酒を持ち込んで。
 そんな風に交代にお仕事しながらではありますが、楽しくお食事をいただいているうちに、普段以上の疲れのせいでしょうか、少し目がしぱしぱしてきました。
「あら?  アリア はもうおねむさんかしら?」
「そうね、まだお子様だし」
「…わたしはもう『お子様』じゃありませんよ?」
「そういっているうちは子供なのよ」
 日ごろのお仕事の成果か、観察眼に優れた先輩方に目ざとく指摘され、わたしはぷぅっと膨れました。確かにお料理をたくさんいただいておなかが満たされた からでしょうか、少し目が痛くなってきているような気がしますが…それはあくまで『気がする』だけのはずです。意地を張るわたしの頭の上で、先輩方はぽん ぽんと遠慮の無い話し合いを進めていきました。
「まぁでも…あんまりそんな気はしないけど、結構時間は経ってるはずなのよね」
「確かに。もうお子様は寝る時間じゃない?」
「ですからわたしはお子様では…」
「それにほら、確かこの子、ブラス城での初めての聖誕祭でしょ? 普段以上に疲れているはずよ」
「ああ、慣れない仕事は緊張するしねぇ」
「明日の朝も早いしね。片付けもしなきゃならないし」
 …わたしの抗議など、どこ吹く風で流されてしまいました。
 しかも。
「ということで アリア 、あなたはもう寝なさいな。お子様は早く寝ないと、身長が伸びないわよ?」
「…………………はい」
 いつの間にやら意見をまとめた先輩がにっこり笑顔でそう宣言すれば、わたしに抗うすべはありません。おまけに、わたしがずっと気にしている身長のことを持ち出されればなおのことです。
 まだまだ続くパーティーの雰囲気に少し残る未練を振り切って、先輩方にぺこりと頭を下げました。
「では、先に失礼いたします」
「おやすみなさい アリア 。良い夢を」
 顔を上げたとき、相変わらず騎士様方に囲まれているクリス様が、遠くから小さく手を振ってくだったのが見えて、わたしはなんだか贈り物をもらったような気がしました。

 石造りのお城というものは案外寒いもので、夜ともなればかなり冷え込みます。それが冬となれば尚更で、背骨まで凍りつきそうな寒さに震えなが ら、わたしはこっそりと足早に歩いていました。壁を隔てた向こうからは広場の喧騒が伝わってきますが、わたしが歩いている廊下自体はしんと静まり返って、 自分の足音さえも不気味に感じてしまいます。
 わたしが目指しているのは、クリス様のお部屋です。一度はわたしたちに与えられている部屋に戻ったのですが…ささやかですがクリス様に、とせっかく買っ た贈り物を、お渡しするのを忘れていたことに気づいたのです。明日の朝、クリス様を起こす前に机の上においておく、というのもひとつの手ですが…うっかり 忘れてしまったら目も当てられませんからね。クリス様が戻られる前に、お部屋に置いておこうと思ったのです。
 クリス様のお部屋にたどりついたわたしは、かじかんだ手にほうっと息を吹きかけて、そろりとノブを回しました。代々の騎士団長様が使ってこられたという クリス様のお部屋は2間続きとなっていて、廊下側が執務室、奥が私室となっています。執務室の扉は鍵はありませんが、奥のお部屋には鍵がかかるようになっ ています。ちなみに、こうした『自分の部屋』を持っている騎士様はごくわずか…そうですね、団長と『誉れ高き6騎士』ぐらいでしょうか。たいていの騎士様 は二人でひとつのお部屋を使っているのです。
 執務室を横切って、お部屋の扉のノブに手をかけてみると、鍵がかかっていました。ということは、クリス様はまだお戻りになられていないようです。少し ほっとしながら、わたしは服の内側に落としていた合鍵を、ずるっと取り出しました。クリス様付きとなったときに頂いた合鍵ですが、なくさないように、わた しはポケットではなく、首からペンダントのようにかけているのです。こうしていれば落とすことはありませんからね。
「失礼いたします…」
 主が居ない部屋に入るということに、妙に緊張して、わたしは小さく声をかけながらかちりとノブを回しました。なんとなくいけないことをしているような気分で、そろりと覗き込みます。
「……………?」
 最初は、クリス様がいつの間にか戻っておられたのか、と思いました。窓には厚手のカーテンがかかっているのですが、その隙間からちらちら入り込む月光 が、部屋にたたずむ白い何かをぼんやりと照らしていたからです。ですが、クリス様にしてはシルエットがおかしく、思わずたっぷりと凝視してからようやく、 それが白いマントをすっぽり被った何者かだということに気づきました。
 …明らかにクリス様以外の『誰か』です。不審者です。きっと、クリス様のお命を狙う、不逞の輩に違いありません!
 わたしひとりで取り押さえるのは不可能です。他の皆様に知らせなければ、と身を翻した刹那、わたしに気づいたらしい侵入者が一瞬でわたしに近寄り、手で 口をすっぽりふさいでしまいました。じたばたと暴れてみたのですが、なかなかこの不審者、がっちりとわたしを捕まえて離してくれそうにありません。
「むーむー!?」
「ゴメン、驚かせて。まさかこの時間に、クリスさん以外の人が入ってくるとは思わなかったからさ」
「む!?」
 かくなるうえは手に噛み付いて、と思ったわたしでしたが、その声にぴたりと動きを止めました。後ろから捕まえられているので顔はわかりませんが、耳元で 囁かれた声には、なんとなく聞き覚えがあるのです。わたしが感づいたということに気づいた(ややこしいですね)らしく、少しだけ口を押さえる手が緩みまし た。
「…手を離しても叫ばない?」
「むー」
 ちょっと、そろそろ呼吸が苦しくなってきて、わたしはこくこく、と頷きました。もしわたしの予測が外れて、まったくの不審人物であれば、約束を破って大 声を出すつもりですけれども…そこまで説明するいわれはありませんし、そもそも口をふさがれているので説明できません。
 ややあって、そろそろと手が退けられました。思わず口を大きく開けて、新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込みます。何度か深呼吸をして呼吸を整えてから、わたしはくるりと振り向きました。
「…ホントにごめんね」
「いいえ。お気になさらないでください」
 しょんぼりと肩を落としたその姿は、わたしの予想したとおりのものでした。
 年のころも身長も、わたしと大差ありません。違うのは、白いマントから垣間見える、ゼクセンには無い浅黒い肌です。先の戦が終わるまでは、わたしも漠然 と嫌悪していた『蛮族』で、今まだクリス様に害意を持つ者も居ないわけではないそうですが、彼は…この方だけは違うことを、わたしは知っていました。
 クリス様の『秘密の恋人』で…先の戦ではクリス様と同じ『英雄』となったこの方は。
 くどいようですが、今日は聖夜です。親しい者に贈り物をする風習が、ゼクセンにはあります。そして、クリス様からこの方への贈り物を、わたしが代わりに買ってきたのです。…ということは、クリス様は今夜、この方に贈り物を渡す予定だったということで。
「わたしの方こそ、あわててしまって…申し訳ありませんでした」
「ん~…じゃあ、お互い様ということで」
 深々と頭を下げたわたしに、爽やかな笑顔つきであっさりそう返してくださって、少しほっとしました。良かった、気を悪くされなかったようです。
 …そういえば、初めてお会いしたときも、こんな風にクリス様のお部屋で鉢合わせしてしまい、クリス様への刺客かと思って騒ぎそうになったんでしたっけ。
「お久しぶりですね、ヒューゴ様」
「…『様』づけはやめてっていってるのに…。そういえば一月ぶりだけど、 アリア は元気だった? クリスさんは?」
「クリス様はお元気ですよ。不肖このわたしがついている限り、クリス様に風邪など引かせません!」
「はは、頼もしいなぁ」
 握りこぶしで力説したわたしに、ヒューゴ様は小さく笑いました。かすかに細められた眼差しの向こうには、おそらくいつもと変わらない、クリス様の元気な姿が浮かんでいるのでしょう。とても柔らかく優しい表情をしておられます。
 おそらく誰にも祝福されることの無い恋(と、以前クリス様は寂しそうに呟いておられました)ですが、それでもわたしがお二人を応援する気持ちになったの は、このせいもあります。お二人とも気づいていないようですけれども、お互いのことを話したり一緒に居たりするときに、愛しいという気持ちがそのまま溢れ てきているような、そんな表情をなさっているのです。人生経験が浅いわたしが言うのもなんですが、お互いがお互いを想いあい、信頼しあい、慈しみあってい る…そんな雰囲気が感じ取れました。ですからわたしも素直に、クリス様の幸せに協力したい、と思えたのです。
 本当はクリス様をとられたようで、少し悔しいんですけれども。でも、よくよく考えれば、ヒューゴ様とのほうがわたしよりも早く出会っていらっしゃるので、いささか筋違いではあるんですよね。
「………?」
 ふ、と。沈黙が落ちた瞬間に、ヒューゴ様の視線がちらりと扉のほうに向けられました。すぐにこちらへ戻りましたが、扉のほうがやっぱり気になるようで、どこか気もそぞろといった表情をしていらっしゃいます。
 今日、クリス様とヒューゴ様は約束をしていらっしゃって。もしかしたら、パーティーを早めに抜け出して、クリス様は他の方よりも早めに帰ってこられるかもしれません。
「…ヒューゴ様」
「…………………え?」
 そっと呼びかけると、ヒューゴ様が弾かれたようにはっと顔を上げました。ヒューゴ様は先の戦で人々を導いた『英雄』で、クリス様の隣に、対等に立ってい る方で…そのせいかわたしと同じ年とは思えないほど、しっかりとした方であるという印象が、わたしの中では強く残っていました。けれどこうしてクリス様を 気にしてぼんやりしていた様は、なんだかちょっとかわいらしい感じがしました。わたしがこのままずっとここに居ても、ヒューゴ様はきっとわたしのことを まったく気にせず、ただクリス様を待つのでしょうね。
 きょとんとわたしを見るヒューゴ様に、わたしはポケットから小さな箱を取り出しました。本当は、机の上にでも置いて立ち去ろうと思っていたのですが…どうせなら、ヒューゴ様から直接クリス様に渡すほうが、クリス様も喜ばれるでしょう。
「これは?」
「えっと、ケーキの香りがするお茶なんです。お二人で飲んでくださいね」
「あ、うん。ありがとう」
 クリス様の代わりに、ヒューゴ様への贈り物を買いに行ったときに見つけた、お茶の葉っぱにレモンケーキの香りと味がついているというもので、お茶が好き なクリス様への贈り物としてこっそり買ったのです。本当は、わたしが明日の朝、クリス様にお淹れしようと思ってましたけど。ついでに、一緒に飲めたらいい なぁ、なぁんてこっそり思ってましたけど。
 …けど一番はクリス様の幸せですからね。
 きっと明日の朝、クリス様を起こしに来たときには、お部屋の中にこの香りが残っているのでしょう。その中で、ヒューゴ様とおふたりで過ごされたクリス様が、幸せそうに眠っているに違いありません。レモンケーキのお茶など問題にならないほどの、甘い空気を残して。
「それでは、わたしはこれで。余計なことかもしれませんが…ヒューゴ様に、女神の祝福があらんことを」
「…うん。ありがと、 アリア 。……精霊のご加護があらんことを」
 にこりと笑ったヒューゴ様に笑顔を返して、わたしはぺこりと頭を下げました。

 皆々様がたの上に、女神ロアの祝福がありますように。それではよい夢を…おやすみなさいませ。

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