「……ねえ、ジンバ……ジンバのせいで、クリスさん泣いてるよ?」
『…そうだな、解ってるさ。俺は…駄目な父親だ。愛する娘ひとり、護ってやれない』
ゆらり、と。
切ない微笑を閃かせて、ジンバはそっと眼差しを伏せた。
愛する人に良く似た、愛する人と自分との血を継いだ娘だ。かわいくないはずがない。
あの石造りの街に居たときは、彼女と娘のためならば全てを敵に回しても戦い抜けると信じていた。
愛していた。護りたかった。
…だから、『棄てた』。自分の行動が、そう呼ぶしかないものだと、ジンバ自身知っている。
けれど、本当は『逃げ出した』のだ。きっと。
自分の命が狙われるのならば、いい。けれども、妻や娘が巻き添えを食らったら。
もちろん護るつもりではいる。それでも、力及ばず喪ってしまったら。
その恐怖は常にどこかこびりついていたのかもしれない。
目の前で冷たくなるふたりの遺体を抱いて、正気を保てる自信はなかった。刺客たちを、不甲斐ない己を、そもそもはといえばひとの優しさに甘えて平凡な家庭を夢見てしまった自分の弱さを…そうした全てを憎悪し、紋章の全ての力を解放するぐらいのことはやったに違いない。
喪うよりは。逃げるほうが、まだ、ましだった。
「泣いて泣いて、泣き疲れて、夢の中でもジンバを探して泣いて…かわいそうだと思わない?」
『…ああ。本当に哀れで…愛しくてたまらない、最高の娘さ。俺にはもったいないぐらいのな』
声にはならなくても、クリスの唇が自分を呼んでくれるのを見てとり、ジンバは思わず手を伸ばし…クリスの髪に触れる直前で、きゅっと手を握り締めた。
今更。届かない。
幼いころ良くやったように、髪を撫でてやったり抱き上げてやったりすることは、できないのだ。
実体もなく、言葉も届かない今の姿では。
長く長く繋がった紋章との繋がりが、髪の毛一本ほどの細さで存在しているおかげで、完全に消え去ることだけは免れたけれども。
どれほどの狂おしい想いがあったとしても。
死者は、もう、伝えることは、できないのだ。
ただ、黙って見ることしか、赦されていない。
けれども。
「ねえ…だったら、俺がクリスさんもらっちゃうよ?」
『やらん。絶対に許さんッ!』
それはもう、絵に描いたよーな『即答』だった。どれほど心の中にしっかりとしまっていた考えだとしても、普通は出てくるまでに一呼吸ぐらいはあるものだが、それすらなかった。
『クリスはなぁ、すっごくいい娘なんだぞ!? 小さいころは良く『パパのお嫁さんになるの~v』って言ってくれてたんだぞ!? くそーっ、クリスが欲しければ俺を倒してゆけ~ッ!!』
錯乱しているとしか言いようのないセリフだが、当然ヒューゴには届いていない。もし今ジンバに実体が備わっていたら、胸倉を掴んで揺さぶった挙句、号泣していたに違いない動揺ぶりである。クリスに見られていたら父親のイメージダウンは避けられないところだろう。
更に。
ヒューゴがクリスの手をとり、その甲に柔らかく口づけるに至って、ジンバの理性の糸は修復不可能なほどにぶっつりと引きちぎられた。
『うううう、憶えてろ~~~~~ッ!!』
子供の喧嘩のような棄て台詞を吐いて、ジンバが勢いだけは良く、無音で駆け出した。
その後。
「……………………」
『なぁ~、別に全力をつくせって言ってるわけじゃないんだからさ。ちょこ~っとだけ、生意気な小僧を黒焦げにするだけでいいんだよ。な? 頼むよ~』
実体が無いのをいいことに、壁も天井も全てすり抜けて、他人の部屋に堂々と押し入ったジンバの陳情に、深い深い溜息をついたゲドは。
「……いい加減成仏すればどうだ?」
『あっ、ひっでー言い草だなぁオイ! 仮にも戦友に対してその言葉はなんだよ、せっかくだからお前の最期の望みをかなえてやるぐらい言ってやりゃいいだろ!?』
3日間ほど、不眠症に悩まされたことは言うまでもない。
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