清かな月の光が薄い硝子を通って銀の髪を優しく照らし出している。
うつくしい、光。
白き英雄。銀の乙女。
様々な二つ名で呼ばれる彼女は、今はただ昏々と眠り続けている。滑らかな頬には、未だ消えぬ涙の痕が見えて、ヒューゴはクリスを起こさないよう慎重に手を伸ばし、拭った。
机の上に無造作に投げ出され、枕代わりに敷かれている白い右手には、淡く蒼く輝く痣がくっきりと刻まれている。ヒューゴが亡き英雄から真なる火の紋章と志とを継いだように、彼女はジンバから真なる水の紋章と想いとを託された。
実の父親との、永遠の離別と引き換えに。
遺跡でも、城に戻ってからも、クリスは泣かなかった。憎らしいほど背筋をぴしりと伸ばし、凛とした態度をとり続けていた。
なんてひどい態度だと憤っていたけれど…今ならわかる。そうしなければ、きっと崩れていたからだ。
遺体さえ残さず塵となってしまった父親。本当なら残された遺体を、詰り、謗り、泣き喚いて、すがりつきたかったのではないか。
責任感の塊のような彼女が、もちろん他にも事情があったにせよ、いっとき騎士団を置いて旅立つほど、記憶に残るぼうとした後姿をひたすらに捜し求めていたのだから。
その事に思い至り、つきり、と胸を突かれたのは、酒場の隅で何かを忘れるように、振り切るように無茶な飲み方をしているクリスを見つけたときだった。
何か慰めたかったのに、気の利いた言葉ひとつかけられず、結局ヒューゴは隣に座り、一緒に酒を飲むことしかできなかった。
ヒューゴが現れるより前から、随分と飲んでいたのだろう。ヒューゴが本格的に酔う前に、クリスは睡魔に誘われ、机に突っ伏してしまったのだ。
「……さ……」
伏せられたクリスの唇が、呼ぶようにかすかに動いた。父様、と。夢の中でも彼女は父親に会えず、さまよっているのだろうかと思うと、やるせなかった。
そっと。
右手で、クリスの手に宿る真なる水の紋章に、触れる。
「……ねえ、ジンバ……ジンバのせいで、クリスさん泣いてるよ?」
答える声は無いけれど。
誰も聞くものの居ない小さな呟きを、ヒューゴは切々と訴えるように紡ぎ続ける。
「泣いて泣いて、泣き疲れて、夢の中でもジンバを探して泣いて……かわいそうだと思わない?」
月の光だけが差し込む中で、薄く輝く紋章がふたつ。蒼く、紅く輝くそれらは、共鳴でもしているかのようにあわあわと燐光を放つ。
どうせなら、本当に共鳴すればいい。そうして、この想いが夢の中の彼女に届けばいい。
「ねえ……だったら、俺がクリスさんもらっちゃうよ? 一生懸命慰めて、俺がずっと傍に居て……俺だったら絶対、クリスさんを泣かせないし、ずっと守るよ」
そろりとクリスの右手を取る。白く長い指は、年頃の女性にしてはいささかしなやかさに欠けている。剣を幼い頃から握り、訓練に明け暮れてきた、手だ。
その、甲に。
誓うように、紋章の上からくちづける。
「だからさ、クリスさん……今は、泣いててもいいから。明日になったら、一緒に笑えるようなコト、探そう?」
悲しみは薄れることなく、胸に残り続けるのだとしても。
瞳に希望を、唇に笑みを浮かべることは、できるから。
時折クリスが見せる、和らいだ眼差しと透明な微笑とを夢見ながら、ヒューゴもそっと双眸を閉じた。
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