馴染んだ剣を手に取る。深く吸い込んだ冷たい空気が、肺に痛い。僅かに目を伏せたクリスは、ふっと肩の力を抜くと、ごく自然なしぐさで手にした剣を振り下ろした。ひゅっ、と空気を裂く、鋭い音が鳴る。
1回、2回、…10回。
繰り返し繰り返し型をなぞるクリスの動作に、ぎこちなさは無い。両足を動かして歩くのに、いちいち考える者が居ないのと同じように、それはクリスにとって当たり前のように身についた所作なのだ。
現在のビュッデヒュッケ城において、クリスを一対一の戦いにおいて打ち倒せるものなどほとんど居ない。それだけの力を持ちながらも、クリスは毎朝の自主練習を一日たりとも休んだことは無かった。
強く…より強く。それはすべてを斬り伏せる力を持つということではない。斬らなくても良いものを斬らずにすむために、斬るべきものだけを斬ることができるように、そのために強くなりたいのだ。力というものは、ややもすれば振り回されてしまうのだから。
不意に。
「そうやって、毎日人を殺す練習をしているんだ」
「そうだ」
唐突に声をかけられたにも関わらず、クリスは落ち着いた声音で答えた。その間にも、剣を振る動作によどみは無い。
「騎士とは護る為に刃を振るう者だ。自分を、仲間を、市民を護る為に、攻撃者を殺す。殺さなければ、逆に自分が、仲間が…力なき民が殺される。戦とはそういうものだ」
「…………クリスさんのそういうところ、キライだ」
正論を述べたクリスに、反論を失ったヒューゴが呟く。拗ねた幼子のような声音に、クリスはほんの少しだけ表情を緩めた。それでも応答自体はひどくそっけない。
「それで構わない。お前が真に英雄であろうとするのなら、戦を当たり前と思っていてはいけない。仕方がないのだとしても、少しでも減らす努力をするのが人の上に立つもののつとめだ」
「だからクリスさんのそういう物分りのいいところが…………やめた」
がりがりと乱暴な仕草で髪をかいたヒューゴは、どこかふてくされた表情で肩をすくめる。一晩ずっと考えて、綿密に作戦を練ってから昨日の喧嘩の続きを吹っかけたのだが…戦況は悪化する一方ときてはもうお手上げだ。素直に降参するほかはない。
「ごめんクリスさん、昨日は俺が悪かった。だからもう機嫌直してよ」
「別に機嫌を損ねてはいない」
「嘘だ。じゃあなんで俺を起こしてくれなかったの?」
「う……」
直球勝負なヒューゴのせりふに、思わずクリスは口ごもってしまった。拍子に、空に描かれた銀色の軌跡が、僅かに歪む。
「あ、図星だ」
さすがに、毎朝一緒に訓練しているだけあって、ヒューゴはクリスの動きを見慣れているようだった。目ざとく指摘され、分の悪さを悟ったクリスは素直に剣を鞘に納める。ため息をついて振り向くと、してやったりといった表情のヒューゴが目に付いて、クリスの眉がかすかに寄った。…なんだか、負けた気がする。
「ちょっと早いけど、今日はもう朝ごはん食べに行こう?」
「そうだな…ヒューゴの奢りなら考える」
「…最近のクリスさんは遠慮が無いというかしっかりしてきたというかたくましくなったというか……ちょっとリリィさんに毒されすぎじゃない?」
「友人だからな」
差し出した指先が、するりと自然に絡む。
喧嘩も仲直りも、それは繰り返される日常の姿。
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