願わくば

 食後のお茶を淹れてテーブルに戻ると、既にクリスはテーブルに突っ伏していた。よほど疲れているらしく、色づいた唇からは健やかな寝息がこぼれている。せっかく淹れたお茶が冷めてしまうのは勿体無いが、わざわざ起こすのも躊躇われた。音を立てないよう慎重に、ポットとカップをテーブルに置くと、気配に敏いクリスを起こさないよう、ゆっくりと顔を覗き込む。
 ただでさえ白皙の美貌が僅かに青白くさえ見えるのは、単純に影になっているからだけでもないだろう。
 このところクリスの仕事はとみに忙しくなっているらしく、クリスの帰宅時間は遅くなる一方だった。もう少し休んで欲しいとは思うものの、これから先のことを…何よりもヒューゴとの約束を守ろうとしているからこそ忙しくなっていることを、ヒューゴは知っていた。だからこそ、余計に「休んで欲しい」と言い出しにくいのだ。
 4年後の春になったら、一緒に旅に出よう――五行の紋章戦争が終わったときに交わした、約束のために。
「うぅん…」
 甘えるようにこぼれた声に、ヒューゴははっと顔を上げた。少し寒いのか、クリスの眉がほんの少ししかめられている。いくら家の中とはいえ、最近一晩ごとに寒さを増してきているのだ。ましてや人間は眠ると体温が下がる。きちんと暖かい恰好をしておかなければ、すぐに風邪を引いてしまうだろう。
 そろりときびすを返したヒューゴは、足音を忍ばせて二階の寝室へと上がった。ベッドの脇にかけられたクリスのカーディガンを手に取り、再び足音を忍ばせて階段を下りる。すぅすぅとまだ寝息を立てているクリスに静かに近づくと、丸めた背中にそうっとカーディガンをかけた。
 ちくり、と胸が罪悪感に痛む。身を削って働くクリスに、自分は結局こんなことでしか想いを返せない。
 成長の止まったこの身体では、彼女をベッドに運ぶことさえできなくて。
 きっとそんなことを口に出すと、「ヒューゴのおかげでわたしはがんばれるんだ」と真面目に返されてしまうだろうけれども。
 きゅ、と唇をかむ。険しくなったヒューゴの気配に触発されたのか、ふる、とクリスの睫が震えた。緩やかな瞬きを繰り返しながら、ゆっくりとクリスの双眸が開かれる。
「…すまない、寝てしまっていたか…?」
「うん。もう寝たほうがいいよクリスさん」
「そうだな…」
 ぼんやりとした眼差しを揺らがせるクリスの手をとって、立ち上がらせる。寝室まで上がる力もないだろうから、居間に置かれている来客用の大きなソファに横たわらせる。途端にすとんと眠りに落ちたクリスの手を握ったまま、ヒューゴは黙然と祈るように頭を垂れた。

 嗚呼、どうかこの手に、彼女を守れるだけの力を。

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