何かの拍子に、確かめるように視線が動く自分に、ロディはもう気づいていた。最初のうちはまったく気づいていなかったし、気にしてもいなかったはずなのだが…最近は、日に数度も確かめている。
「…どうしたのですか?」
「…いや…」
きょとんと長い睫を瞬かせて問いかけるセシリアに、曖昧に笑ってごまかす。深刻な嘘の気配には敏感でごまかされてくれない彼女だったが、今回はそのセンサーにひっかからなかったらしい。
「何かあったら、何でも言ってくださいね?」
「あ、うん。……あのさ」
「なんですか?」
鷹揚な笑顔を残して身を翻しかけたセシリアに、ロディはあわてて声をかけた。くるりと踊るような優雅な仕草でこちらに向き直ったセシリアの背中で、さらりと絹糸のような金の髪が揺れる。
「…髪、伸びたね」
「そうですね…」
咄嗟に呼び止めたものの、何の話題も思い浮かばず、うっかり投げかけた話のきっかけは最悪の選択だった。ぽつりと落とした呟きに、セシリアの表情が僅かにこわばる。指先を火傷したかのような痛みがセシリアの瞳に浮かんでおり…実際、このところ、その話題は誰もが触れないよう、気を遣っていたものだった。
一番最初、「涙のかけら」を取り戻す旅に出かけたあのときに比べれば、セシリアの髪はずいぶんと伸びている。今はどちらかというと、アーデルハイドで出会い、リリティアの棺に赴いたときに近い長さだ。
…それはすなわち、残り時間の短さを示している。
「あとちょっとですけど、よろしくお願いしますね」
精一杯明るく言うのは、きっと涙が出ないようにするための、彼女なりの努力なのだろう。ならば、ロディもそれに応えるほかはない。
「うん。また、会いに行くよ」
「そのときはぜひ、面白い話をたくさん聞かせてくださいね」
『世界を救う』という目的のもと、悲壮な覚悟で出た旅を終わらせ…今度は『見聞を広める』という目的で、ザックとロディに合流したセシリア。今は目的など有って無いようなものだが、「セシリアの髪が以前の長さに戻るまで」という期限だけはある。明確に日付を決めていないのは、これから『自由』とは縁遠い人生を歩むことになるセシリアに対する、ヨハンなりの優しさの現われなのかもしれない。もしくは、自分である程度決められる…自分で、自分の人生に対する覚悟を決めろ、という意味合いもあるのかもしれない。
少しずつ…少しずつ伸びてゆく髪。曖昧な、旅の終わり。
だからこそロディは、願ってしまう。
「…ロディ?」
ふと訪れた沈黙に、セシリアの柔らかい声が降り注ぐ。導かれるように無言で椅子から立ち上がって、ロディはセシリアの華奢な肩に手を伸ばした。そのままそっと手元に引き寄せると、耳元で驚き慌てふためく声が響く。
「ロディ!?」
「うん、ごめんね。なんだかちょっと…抱きしめてみたく、なって」
「………わ、わたしは構いませんが…」
頬を赤らめ、言葉を濁す少女を、壊れないよう大切に…けれど力強く、抱きしめる。
彼女がアーデルハイドに帰れば、このように触れることなど、できようはずもない。一介の渡り鳥と一国の女王、そこに横たわる溝は深く大きい。いくらアーデルハイドが開放的だとはいえ、互いに手を伸ばせば触れられる、そんな距離まで縮められるかどうかさえ怪しい。
ましてや彼女は守護獣と心を通わせる姫巫女。対する自分は人間ですらない。
本当は、今ここに彼女がいること自体がすでに、奇跡に等しいのだ。理性ではわかっているはずなのに、心のどこかで手放したくないと叫ぶ自分がいる。
「何か…つらいことがあるのなら、何でも言ってくださいね?」
「うん」
優しく労わる声音に頷いて、目を伏せる。セシリアの背中を流れる金の髪が視界に入り、何度も振り払ったはずの誘惑がまたもや鎌首をもたげる。
(もしも)
それが他人をまったく省みない、浅ましい願いだと知っている。嘆く大勢の人を無視して、自分の願いだけを押し通すなんて、許されることではない。
(もしも、髪を切ってしまったなら)
「ロディ?」
訝しげに訊ねるセシリアに応えず、ロディは彼女を逃さないよう片手で抱きしめたまま、残る手でポケットを探る。ずいぶん前に、さんざん悩んだ挙句に購入した、小さな鋏を取り出す。
「ロディ? なんだか変ですよ?」
「うん」
セシリアの位置からは鋏は見えないはずだが、それでも不穏な気配を察知したらしく、声にはいささかの不安が滲んでいる。それには直接答えず、ロディはちらりと鋏に視線をやった。
(もしも、髪を切ってしまったなら…伸びるまで、もう一度そばに居てくれる?)
何度も。何度でも。伸びるたびに切り落とせば、永遠が手に入るのだろうか。
この鋏で、彼女の髪も、彼女の故郷との絆も、切り落とせたら。
「……好きだよ」
鋏の刃が、銀色の鋭い光を反射した。
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