「……………クリスさん」
「はい」
麗らかな春の日差しが降り注ぐ午後。滅多に無いクリスさんの休日にあわせて、昼間まで惰眠を貪って(もちろん前夜にあれやそれや、やることはやってるんで、多少の寝坊は仕方が無いと思う)、ご飯を食べて、お茶を飲んで…さてこれからどうしよう、というときに、ふと思い出して、オレはそう切り出した。ちょっぴり改まった声の響きに、クリスさんは何か勘づいたみたいで、きちんと両手を膝の上に揃えて、背筋を伸ばして聞く体勢に入っている。心当たりがあるんだろうな、ほんの少し肩をすぼめて、もし猫の耳がクリスさんに生えていたら絶対ぺたんと小さくなってるはずだ。何色だろ、髪が銀色だからやっぱり白猫かなあ、でも意外に黒もかわいいかもしれない……。
…って違うだろ!!
明後日な方向に飛んじゃった思考に自分で突っ込んで、オレは目の前のクリスさんに視線を合わせた。
そう、今まさにオレはお説教をしようとしているんだから、気持ちからやっぱりゲンシュクに行かないとダメだと思うのだ。慣れないことだから何だか可笑しいような気分になっちゃうけど、こういうのはカタチから入ればなんとかなるかもしれないし。
「あのね、今はクリスさんのお給料で生活しているし、オレは経済的に貢献していないから、本当は口出す理由はないんだけど」
「そんなことはないぞ。ヒューゴのおかげでわたしは毎日がんばる気持ちになるし。それに結婚しているんだから、わたしの給料はヒューゴのものでもあるんだからな」
「…ありがと。………って問題はそこじゃなくて」
そろりと伏目で告げられた謙虚で真摯な言葉に、うっかりほだされそうになるが、ここは我慢が大事。肝心の問題部分にまでまだ辿りつけていないんだから、ここで流されてはいけない。
「あのね。……これ」
ずずい、と押し出したのは、身長30センチぐらいのもこもこ熊さんだ。色はクリーム色、リボンは緑。長めの毛に埋もれ気味の目はまん丸の黒い硝子玉で、三角の黒い鼻がアクセント。
ぬいぐるみ、だ。ドコからどう見ても、普通のかわいらしい熊さんぬいぐるみだ。
けど、クリスさんの反応は違った。さっと顔を蒼褪め、唇を震わせている。大きく瞠った紫の目は、まっすぐに熊さんを見つめている。
「そ、それは…!」
零れ落ちた呟きには、驚きと、後ろめたさが混じっていた。…やっぱりね。
「『それは』?」
「え、う、あ…そ、そうだ、わたしが預かっていたものなんだ。見当たらないから探していたんだ」
「へぇ、そうなんだ。誰からの? サロメさん? レオさん? もしかして、パーシヴァルさんじゃないよね? 教えてよ、オレからきちんと返しておくから」
「えっと、そのっ……違うんだ、本当はプレゼントで、だからっ…」
「それにしては、ラッピングしてなかったけど。今から包装紙買いに行こうか」
「じゃなくてっ…そのっ、もらいものっ、そうプレゼントされたんだ!」
「誰から? お礼はちゃんとしないとね」
「ううううぅ………」
ばっさばっさと稚拙な言い訳を切り捨てまくると、とうとう言葉に詰まったクリスさんが唸り声を上げながらテーブルに突っ伏した。まったく…頭はいいし、実際の戦争でてきぱきと指示を出すし、敵を騙すような戦術だって立案・実行しちゃうのに、どうしてこう、自分のこととなるとこんなに嘘が下手なんだろう。今時の子供だってしないような言い訳で、オレがごまかされるとでも思ってんの?
はぁ、と溜息をひとつ。ほどよいところで手を出してあげるのも、言い出したオレの役目だから。
「クリスさんが、買ったんでしょ」
「う、う、……うん…」
「熊さん、月に1つだけって約束したでしょ」
「う……………うん…」
「……憶えているんだ。じゃあ、こないだの給料日にクリスさん、喜び勇んで熊さん買いに行ったの、おぼえてる?」
「……………………う、うん…」
こっくり。俯いて小さく頷くクリスさんが、まるで親に怒られている小さい子供みたいでかわいい。けど、クリスさんを甘やかすのはよくないから。
クリスさんは、実は意外と金遣いが荒い。というか、無駄が多い。普段はほとんど無駄遣いとかなくって、お小遣い(僭越ながら家庭の会計を預かるのも主夫の役目ということで。クリスさんには給料日に、生活費と貯金以外のほとんどをお小遣いとして渡している)を余らせるコトだって多いぐらいなのに、何かの拍子にどかんと使っちゃうことが、ある。それがまた、外食とかお化粧とか服とかアクセサリーとかじゃなくって、欲しかった剣があったとか探していた篭手が、とかそんな理由で一ヶ月のお小遣いをまるまる注ぎこんでしまうのだ。
その中で一番多い理由はこれ。熊さん。
あんまり女性らしいものにそれほど興味を示さないクリスさんが唯一、執着するもの。ただでさえクリスさんの書斎(見られるのは嫌なので、全部寝室から書斎に移したのだ)には所狭しとばかりに、大小さまざまな熊さんぬいぐるみがあるのだが、それでも足りないのかなんなのか、衝動的に買うことがある。本当は別に全然問題になるほどじゃないんだけど、放っておくと本当に「熊さんだけ」しか買わないってことになりかねない。
だから、「1か月にひとつだけ」って約束したのに。
まぁね。約束が守られるとはオレも思ってませんでしたからね。それに…半年後、旅に出るときには熊さんたちはお留守番ということになる。嫌でも別れなきゃいけないときが、来る。
…だからしょうがない。今は大目に見てあげる。
「…クリスさんには罰として、今日の買い物には付き合ってもらうからね?」
「うんっ。ありがとうヒューゴ。大好きっ」
「…………っ」
不意打ちの満面の笑みにくらくらする自分が情け無いけれども、それはそれで仕方のないことだから。笑顔の責任はきっちり取ってもらうということで。明日も休みだから大丈夫大丈夫。
「クリスさん、買物が遅くなってもいいよね?」
「う、うん…?」
「じゃあこっち」
頭の上に疑問符を山ほど浮かべるクリスさんの手を引っ張って、向かう先は当然寝室で。
その日、クリスさんが愛しの熊さんに会えたのは日付が変わる直前だった。買物は当然延期、次の日「1日無駄にしてしまった…」と恨めしげに呟かれたのは言うまでもない。
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