彼女のペット

「…………ナニソレ」
「……何って…」
 不機嫌丸出しの視線でそれを眺めながら、ヒューゴがぼそりと呟いた。声といい目つきといい表情といい、もう全身のありとあらゆるところから不愉快オーラが出ている。ご機嫌斜めどころか垂直降下なヒューゴの機嫌に、クリスは小首をかしげながら問い返した。クリスとしては正直な言葉だったのだが、ヒューゴにとっては余計にな駄目押しとなったらしく、表情がますます憮然としたものになる。
「何ってその猫に決まってるだろ! ったくもーなんでそこに居るんだよ」
「ああ、この猫か」
 びしり、と音が聞こえそうな勢いでヒューゴがクリスの膝を指差す。つられて視線を落としたクリスは、自分の膝の上に乗っかっている猫を見て納得した。三日月形のパンのように、器用にくるりと丸まっている猫の背中を丁寧に梳きながら、説明を始める。
「今日突然、リリィに押し付けられたんだ。今日中にまた迎えにくるそうだが…」
「そうじゃなくって」
 途中で遮ったヒューゴは、ふたたびずびし、と猫を指差した。気配を察知したのか、猫は薄く眼を開けて突きつけられた指先を見つめるものの、再び眠りにつく。たいした度胸というべきか、人なれしているというべきか、動物に慣れていないクリスには判断がつかないが。
「なんで、クリスさんの膝の上で寝てんの!? 俺だって膝枕してほしいのに!」
「……………馬鹿者…」
 予想外の言葉に、クリスは心底頭痛を覚えてしまった。
 もともと、クリスとヒューゴの間柄は、クリスの性格に合わせてか、恋人というには割合淡白である。互いに仕事で忙しいということもあり、少しずつ暇を見つけて顔を合わせ、他愛のない話をする…それだけでクリスは満足だった。だが、愛するにも憎むにも、何にしろ情熱的なカラヤの少年には、そんなクリスの態度が物足りないようだった。たとえば手を握る、膝枕、抱き締める、キスする、そのほか何かと触れ合いたがるのだが。もちろん最後の段階に関しては時期尚早ということで問答無用で殴り倒し、何もなかったことにしているのだが。
 きっぱりとした言葉に、ヒューゴも流石に分が悪いと悟ったようだった。拗ねたような表情でそっけなく視線を逸らしながら、クリスの隣に腰を下ろす。
「猫に嫉妬するとは思わなかったぞ」
「…どーせ俺は子供ですっ。ていうかねぇ、クリスさんが無頓着なだけだよ。そこは俺の特等席のはずなのに…」
「人間じゃないからいいだろう?」
「そういう問題じゃないよ」
 あれやこれやと宥めてみるが、どうやらヒューゴは徹底的にへそを曲げたらしい。ぷい、と横を向いたまま、投げやりな返事をよこすばかり。
(まったく…)
 面倒なような、微笑ましいような、なんとも形容しがたい感情を抱え込んで、クリスはそっと溜息をついた。普段のクリスであれば、面倒ごとはばっさり切り捨てて終わりにするのに、ヒューゴに関してだけはそうもいかないのは…やはり、クリスなりに彼に好意を抱いているからだろう。ヒューゴとはまったく表現方法が違うけれども。
「ヒューゴ」
「…なに?」
 猫が毛を逆立てるかのような、警戒心むき出しの声。何度も懐柔されているから、仕方のないことではある。それでもやっぱり、クリスの方が一枚上手なのだ。
「膝は生憎先客が居るが、肩なら空いているぞ?」
 きょとん。眼を真ん丸くさせてクリスを見つめるその姿は、10代の多感な少年というよりは…ふさふさしっぽをぱたんと動かす子犬だろうか。
「だから、今日はこれで勘弁してくれないか」
 言葉と同時に腕を伸ばす。ヒューゴの肩に手をかけて、そっと自分にもたれさせる。ことん、と肩にかかった重みと温もりが優しい。
「…これで俺が納得すると思ったら大間違いだからね」
「ふむ。では何が足りないと?」
「セイイ」
「具体的には?」
「明日はちゃんと俺に、膝枕するっ! あと、もう俺以外のヤツにやっちゃダメ」
「猫は?」
「猫も」
「わかったよ、ヒューゴ」
「うむ、よろしい」

 彼女は茶色の子犬を飼っている。

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